「かがみの孤城」(辻村深月)

2021・5・7

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孫が熱中して読んだ本で、読後もしばらくは、余韻を楽しみたかったのか、最近やっと貸してくれた。

 

作者の辻村深月さんは24歳のとき、「冷たい校舎の時は止まる」でメフィスト賞を受賞してデビュー。

その後、吉川英治文学新人賞や直木賞ももらった作家さんで、この本も2018年の本屋大賞を受賞している。

ハードカバー版、554ページ。

 

 

中学生になったばかりの時、同級生にひどいいじめを受け、学校に行けなくなった主人公こころは、5月のある日

自分の部屋の鏡が光るのに吸い寄せられ、気づいたら城の中にいた。

そこには、男の子4人、女の子2人が来ていて、それぞれ事情を抱えているようだったが、毎日城に通ううちに、次第に

心が通う仲間になっていく。

 

城には「オオカミ様」とよばれるオオカミの面をつけフリルのついたドレスを着た案内役がいて、

「この城の中に願いが一つだけかなえられる鍵が隠されているが、願いが叶うのは、その鍵を見つけた一人だけ

城は来年3月30日に閉じられるが、誰かが鍵を見つけて願いをかなえたらその時点で、この城は閉じられ、皆の

ここでの記憶も同時に消えてしまう。」と告げられる。

 

はじめのうちは、「よくある設定だ・・・」と現実感がない感じで読んでいたが、登場人物の個性豊かな描写や

その背景に持っている学校に行けない子の様々な事情がリアルで、次第に、自分にも継続的に存在するこんな想像の世界が

あればいいなあと思うようになり、夢中で読んでしまう。

こころが仲間を得て、次第に強くなっていくのがうれしく、城の中のことも、本当に存在する世界かのように思えてくる。

 

しかし、城の世界で得た勇気で、現実の世界で会おうとしたけれど、会えない・・・。それぞれの生きている時間が

違っていたという設定、これは、読み終わって気づいたのだが、この苦しい時間も、また仲間の友情を信じて充実した

時間も、やがては過ぎ去って、次の時間がやってくるということか・・・。またこの城の世界が準備された理由も納得のいく設定だ。

最後のほうで、病気で亡くなった姉が自分を慕ってくれた弟との約束を叶えたことがわかる場面では、涙が出てしまった。

 

ファンタジーの要素、ミステリーの要素、物語の中にたくさん仕組まれた綿密な伏線にはらはらドキドキで、

一気に読んでしまうすばらしい作品だった。

 

文庫本になったほか、漫画、オーデオブックで配信、また東京、大阪、愛知では、舞台で公演されたとか。

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山笑い、山滴る

2021・5・2

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次男に「山がきれいで気持いいよ。一緒に行かない?」

と誘われて、嫁の実家にお邪魔することにした。

 

夫が元気な頃は、福寿草や翁草を見に連れてもらったり、近くの神社で

開催されていた人形浄瑠璃を鑑賞させてもらったり、山椒の実、梅の実と

季節ごとの収穫にお誘いいただいたりと、ちょくちょく伺っていたのだが・・・

 

私も出かけ無精になってしまい、すっかりご無沙汰していて、今回は久しぶり。

孫たちと出かけるのも沖縄旅行以来。

 

「藤野というくらいですから、藤がいっぱい咲いています。見ながら来てくださいね。」

言われたように、山が近づいてくると「あ、藤の花!」「ここにも」「あ、また!」と見事な

藤の花が今をさかりにと咲き誇っている。

 

嫁の実家は四方、山に囲まれている貴重な平地にあり、水の入った田んぼに山の木々が写り込んで

清々しい風が流れてくる。

 

今日は、田んぼのへりに泥を掻き上げて「畔」を作るお手伝いもある。

父親より背が高くなった男の子が鍬を使って一生懸命、泥を掻き上げる。都会暮らしでは、

経験のない力仕事だ。さて?

 

頑張ってやったので、ベテランのおじいちゃんからも「合格点」をもらって、今度はタープの下で

バーベキュー。火起こしも教わりながら奮戦、エビやお肉、ソラマメ、エシャロット、いなりずしを

ほおばりながら、お腹いっぱいご馳走になる。女の子の孫がおばあちゃんお手製のイチゴババロアを

手際よくお皿に取り分け、これもおいしくいただく。

ああ・・・本当に幸せな時間だ。

 

せっかくテントを張ったけれど、夜は雷雨となってお泊りは、お家の中。

翌朝、孫たちは近くの川に魚とり。

 

自然の中で心癒される最高のひとときでした。感謝・・・。

 

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見つけた! 「忍者部隊月光」

2021・4・25

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推しの映画に関するデータは、80本以上、現在、自分が見ることのできるものは、ほぼ確認した。

心残りの3作は、Tutayaなど、機会があれば、探してみようと思っている。

 

今頃になって推しをまた追いかけるなんて思いもしなかった。すべては、孫が貸してくれた「推し、燃ゆ」

から始まっていた。それは、偶然というか、それこそ雷のように突然落ちてきた。

 

そしてあかりと同じように、ファイルに書き込まなければ気がすまないのは、中学生だった自分が何軒も

貸本屋さんを巡って、まだ読んでいない眠狂四郎の巻を探し回ったあの頃と同じだ。

 

しかし、ほんとうに残念なことは、肝心の私が出会った頃、テレビ創生期の推しの作品が残っていないということだ。

1955年から1962年頃・・・それよりも前の若い推しを映画で見ても、また晩年の時代劇に出ておられる推しを

見ても、なんだか本当の推しに出会った気がしない。

 

テレビの出演データは、A4にプリントして8枚ほどあり、ものすごい数。特撮もの、刑事もの、あらゆる時代劇、

土曜ドラマ、NHKは、朝ドラや大河ドラマにも3回、40代から70代まで、ほぼ休みなく

刑事、裁判官、悪徳ボス、悪代官、○○主膳、茶道の家元、はては死神まであらゆる役を引き受けてやっておられたようだ。

 

もっとたくさん残っているかとYouTubeを検索したけれど、シリーズものは、まだビデオを販売していたりするせいか、

openingのみで内容までの録画はあまりない。それに推しは、レギュラーではなく、ゲスト出演が多いので、200話を

超えるドラマで、それを探り当てるのは、なかなか難しいのだ。

 

もうやめようと思いつつ、シリーズ物でたった1回の出演しかなかった「忍者部隊月光」を検索してみた。すると

珍しいことにこのシリーズは、たくさん全編録画されたものがあって、その中に推しの出演されている15,16回が

見つかったのだ。子供むけの番組だが、うれし!

 

1964年…推しは41歳だ。私が出会ったころより少し年をとられてはいるが、まだまだ推しの面影がたくさんあった。

表情から、そうそう、見覚えのある推しだ!と久しぶりに本当に出会ったような気がする。

眠狂四郎や新吾十番勝負の記憶がかすかに頭をよぎる。

 

このドラマでの推しの役は根来流忍者の家元、父を殺されて復讐に燃えているが、月光が味方だとわかり協力して

悪者をやっつけるという筋書き、崖から転がり落ちるシーンなども、スタントマンなしですごい!

15歳も若い主役、月光と同じように奮戦する。俳優はたいへんな仕事だ。

 

主役の俳優、見たことがあるけど、名前は? 調べたら水木襄だった。東映の映画俳優だったが、この何年後かに

俳優をやめ、いろんな職業を体験するが、53歳で自死。このような運命をたどり、俳優業を途中でやめた人は他にもたくさんいた。

仕事が少なくなっていき、不安を抱えてゆきづまる人が多いのだ。今も同じかも知れないが、主役での作品が

ある人でも、何年かして売れなくなり、やがて仕事が全然なくなる。

 

推しのように年齢がいっても、その時の役柄をしっかりこなし、必要とされる役者でいることは、至難の業なのだ。

神風特攻隊だった推しの精神の強さを改めて思った。そして推しが、俳優の権利や生活向上のために、国会にまで行って

訴えかけた気持ちがとてもよくわかった。

 

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前回少し書いたが、日俳連(Japan Actors Union)という俳優さんたちの組合が出来上がっていく頃の

出来事が書かれているHPに推しの活躍ぶりが出ていた。「忍者部隊月光」が撮影されるより少し前の話のようだ。

 

日俳連のHPより

https://www.nippairen.com/progress/30his/30his002.html

 

 

新東宝の経営破綻、それに継ぐ旧作映画の売却という暴挙は、何か荒れた世相を映しているかのようでした。

映俳協は、早速、新東宝問題への対策を講じる行動にでました。本来、劇場で上映することを目的に製作された映画を

テレビ局に売却し、テレビ放映することで映画会社も放送局も一定の利潤をあげながら、出演者だけが放置されたままと

いうのは明らかに不当だというわけで抗議行動が行われたのです。

 

1962(昭和37)年12月8日付けで映俳協(代表理事 池部良氏)から新東宝社長 阿部鹿蔵氏宛に送付された「申入書」は

次のような厳しいものでした。

 

「先般来、貴社製作の劇場用映画作品がテレビ局に売却され、逐次テレビ番組として放送されていますが、之に対し

日本映画俳優協会は貴社より何等の話合、申入れの無い事を甚だ遺憾とするものであります。私達映画俳優は当時

該当作品出演に当って映画劇場においてのみ上映されるものと理解して協力したものであり、現在その影響力大なる

テレビに於て第二次的に公開されるという事は全く私達の意志に反するものであります。

近年実演家の権利についての保護方法は隣接権条約等に於て国際的に問題視されていることは既に御承知の事と思います。

我が国に於ても国内法の改定に当り、「映画的著作物の著作権者実演家の権利の内容」及び「複製物の経済的利用価値を伴う

第二次的使用の場合に於ける実演家の報酬請求権」等の問題が重要な課題として研究されている実情を顧みても、現在の

斯かる問題を黙視することは出来ません。加之、一般視聴者側から見てかつての演技が今日の作品の如く誤解されるという

おそれのある事は私達俳優にとって全く不本意な事であります。是に於て社団法人日本映画俳優協会は貴社に対し当該放送作品

に関する何等かの報酬乃至その他の給付を受ける権利のある事を厳重に申し入れ貴社より好意的話合のある事を期待します。

 

尚、当協会の調査の中で当該放出作品の一部に製作完了時より現在まで何等の出演料も支払われていないままにテレビに売却

されている極めて遺憾な事実を発見しており、この点についても併せて誠意ある御回答を期待します。

 

追而、貴社より当協会に会談の申入があるならば、出来る丈貴意に添う日時を以ってそれに応ずる用意のある事を申添えます」

 

この文章を書いたのは江見俊太郎氏でした。これより先、文部省の著作権課に出向き、佐野文一郎課長から教えを請うていた

江見氏は、ある時、「実はね、江見さん、ローマ条約というのがあるんだよ」といって、条文を見せられたのでした。

そこには、科学技術の進歩によって受ける被害から実演家を守ろうとする条文が列挙されていました。

 

「これだ!」

 

江見氏は、目からウロコの心境で「申入書」の執筆に当たったと言います。

 

この申入れに対し新東宝側は、同年12月24日、映俳協に150万円を年内に支払うことを確約し、問題は解決されました。

しかも、この支払いに関わる覚書には「新東宝は、映俳協及び演技者の人格権を尊重し…」と書き込まれていました。

当時、すでに監督たちは50万円、シナリオ作家協会は125万円を受け取っていたので、人数の多い俳優たちには割り増しを、

というわけで150万円にまで引き上げたのでした。支払いは同29日に映俳協事務所にて行われました。

 

こうした経験を経て俳優の各団体は、自らの権利は自ら守らなければならないことを強く実感するようになります。また、

折しも国内の著作権法が大きく改正されようとしている時期でもあり、各団体の結束の大切さも意識され始めていました。

映俳協が新東宝に送付した申入書の中に「隣接権条約」なる語句が出てくるように、ローマ条約(または隣接権条約)の採択後は、

それに伴って日本国内の著作権法を改正する動きが出始めていたのです。1962(昭和37)年3月には文部省社会教育局から

映俳協に「著作権法改正に関する意見」の提出を求めてくるようにもなっていました。

俳優団体連絡会(略称・俳団連)が発足するのはそうした背景からでした。

 

 

 

大昔の映画 「源氏物語」

2021・4・20

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https://www.youtube.com/watch?v=5hntzOXs_EM&t=4539s

 

1951年、大映の作品、監督は吉村公三郎、光源氏を演じているのは、長谷川一夫だ。

脚本が、新藤兼人だったので、興味を持って見始めた。

 

物語は、桐壺の巻から須磨、明石のあたりまでだった。

原作とは、違い播磨入道の娘は、「淡路」という名前で登場し、幼馴染みの恋人良成という男がいて

淡路の生んだ子供は良成の子だとわかり、源氏が立腹するという設定だったが、これは柏木と女三宮の話を

ここに盛り込みたかったからだろう。

 

実際は、播磨入道の娘は、光源氏の御子を生み、その子が中宮となって、明石一族は繁栄していくので、

筋書きとしてはかなり違うのだけれど・・・。ま、原作を辿っていくといくら時間があっても終わらない。

この映画でさえ、2時間以上。

 

長谷川一夫さんは、1951年には、43歳。さすが名優で、お芝居はとても雰囲気があってよかったが、ちょっと

若い光源氏には、見えない。須磨あたりの描写にもあったが、その頃の光の君は、細身で女性のような美しさと

あったから、若菜あたりからの中年の源氏にはぴったりなのだが・・・。

 

紫上は乙羽信子、藤壺は、木暮實千代、葵上は水戸光子、淡路(明石の上)は京マチ子、弘徽殿女御は

東山千栄子、みなさんお若いので美しい。私は紫上がぴったりの印象。

 

白黒というのが、なかなかいい感じで、御所や北山、また須磨の海も美しく感じられた。衣装や小道具、寝殿造りの

住居など、すべて専門家が参加して時代考証されているようで、見応えがある。監修は谷崎潤一郎。

 

また琴の音、琵琶の音色もなかなかだ。原作には、登場人物の会話文で、琴の種類や音色について様々

な解説がされているが、このような音であったのかと。

 

また、原作には、はっきり書かれていない平安時代の人々の暮らしの不安みたいなのが、映画では明確に描かれていた。

葵上が亡くなった場面で、頭中将が口にする言葉。

「病気になれば、治すすべは何もない。ただ死んでゆくのを待つだけだ。」

「加持祈祷なんかで、人の病気が治るもんか!」

ここで、頭中将は、加持祈禱をしている僧たちをなじるのだが、原作では、もうすぐ死んでゆくとわかっている

自分のために加持祈祷を熱心にやっている両親に対して、「効き目がないとわかっているのに

申し訳ないことだ・・・」という柏木の心内語がある。

 

また、須磨で光源氏が夜盗に襲われるという場面があった。宇治十帖では、しきりに出てくる話だが、この時代、地方の

治安は不備であったことが、わかる場面であった。

 

なるほど・・・脚本というものは、原作から何を捨てられない要素として盛り込むかとよく考えて

作られているものなんだと、勉強になった。

 

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大昔の映画  「愛妻物語」

2021・4・17

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 「愛妻物語」

https://www.youtube.com/watch?v=VlDkvN8OTb0&t=123s

 

 

1951年の「愛妻物語」に目が留まった。

あの乙羽信子さんがとても美しい笑顔で微笑みかけてきた。

 

後々の乙羽信子さんの映画は何本かみたが、こんなに若い時のは見たことがない。

私がまだ小学生だったころの映画だ。

 

映画のシナリオライターを目指している男を愛し、父親の反対を押し切って男と暮らし始めた孝子という女性が

男を励まし、けなげに支えていく。

孝子は、今の時代にはなかなか見つけられないような自分をしっかり持った(自立した)女性だ。夫への愛情も

深く、いざという時は上司に会って助け船を乞うこともする。

 

男のシナリオはまだ認められず、苦しい生活の中、孝子は結核にかかり亡くなってしまう。

二人が暮らす場所は、京都、鴨川に近い町屋で、お隣は友禅の絵付師の職人さん。太秦の撮影所もたびたび出てくる。

男の師となる滝沢修が演じる監督は溝口監督らしい。

 

男は、宇野重吉が演じている。この時はまだ40代。昔、20年以上民芸や文学座のお芝居をみる会に入っていたので

宇野重吉さんは、ずっと見ていたけれど、この映画では、まだまだ若い。

でも推しが言っていたように出てきただけで宇野重吉・・・

 

 

この作品は、あの100歳まで頑張った新藤兼人さんの実話をもとにした話のようだ。

新藤氏は、脚本家として活躍していたが、この「愛妻物語」が監督として初めての作品だった。

乙羽さん演じる孝子という女性の名前も新藤兼人を支えた最初の妻の名前のようだ。

女性は、男に「あなたは、すばらしいシナリオを書く人・・・ずっと書き続けて・・・」と願いつつ亡くなってしまう。

新藤兼人の一生とその作品の数々を思う時、この女性の力の大きさに驚かされる。

 

 

 

 

 

大昔の映画

2021.4・14

 

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昨日、久しぶりに訪ねて来られたご近所の友人に

「Nさん、毎日、何してんの?」

と訊かれた。

「・・・・昔の、いや大昔の映画を見ているの。」

「???」

 

推しが出演された映画を探し始めて半月ばかりが経っている。

昭和20年代、30年代とたくさんの映画が作られている。

 

統計の数字によると、映画を見る人の人口が一番多かったのは、1958年で、そこからテレビの台頭によって急降下し、

1970年あたりから現在にいたるまで、ピーク時の5分の1弱程度でほぼ横ばいである。

 

推しのおられた新東宝も1961年に倒産した。新東宝は、はじめは文芸物もつくっていたが、

娯楽路線に変更、推しも犯罪者や悪徳ボスなど怪しげな役が多くなっていったようだ。

だから映画作品は、1960年までのものしかない。それでも80本近い作品に出演され、そのほとんどが

データベースに記録されている。しかし、今はもう見ることが出来ないものがほとんどだ。

 

現在、YouTubeに残されている映画がいくつかあった。

 1, デビュー作は、1946年の「民衆の敵」(今井正) 監理官 

 2, 「人間模様」(市川崑) 1949年         

 3, 「果てしなき情熱」(市川崑) 1949年  ヒロインに恋するボーイ

 4, 「暁の追跡」(市川崑) 1950年  犯人

 5, 「エノケンの怪盗伝 石川五右衛門 (毛利正樹) 1951年  殿様

 6, 「アツカマ氏とオヤカマ氏」(千葉桊樹)1955年  社員

 7, 「たそがれ酒場」(内田吐夢) 1955年   新聞記者

 8、 「怪異 宇都宮釣天井」(中川信夫) 1956年  宇都宮城主本多上野介

 9, 「明治大帝と日露戦争」(渡辺邦男) 1957年  山岡少佐

10, 「天皇、皇后と日清戦争」(並木鏡太郎)1958年  清の通訳

11, 「女間諜 暁の挑戦」(土居通芳) 1959年 予告編のみ スパイ

12,  「東海道四谷怪談」(中川信夫) 1959年  直助

 

推しが重要登場人物で、見たかったなあと思ったのは、

吉川英治の「ひよどり草紙」1952年、「天狗の源内」1953年、「大学の門」1948年等である。

アマゾンでも、探してみたが、「ひよどり草紙」のフィルムが国立映画アーカイブに保存されている

ことが、わかっただけ。かなり前に上映されたらしい。

 

でも、これだけの作品が見つかったのは、幸運なのだ。

映画を見ていて感じたことがある。

 

この時代、映画全盛期には、後々有名になったたくさんの役者さんがいた。

すでに大御所だった嵐寛寿郎、上原謙はもちろん、三国連太郎、笠智衆、鶴田浩二、中村錦之助

池部良、丹波哲郎、三船敏郎、高嶋忠夫、御木本伸介、小林桂樹、細川俊郎、宇津井健、沼田曜一、

宇野重吉、芦田伸介、金子信雄、・・・・女優も原節子、高峰秀子、三枝子、若尾文子、岡田茉莉子、

杉村春子、北林谷栄、岸恵子、野添ひとみ、乙羽信子、香川京子・・・美男美女はもちろん演技派も多数。

 

きっと、監督も映画会社も使い放題だった多くの俳優さんたちの中にあって、

背は高いけれど、細身で顔立ちが上品、優男に属する推しの、役どころは、そうそう多くはなかったと思われる。

映画の代表作ともなった「東海道四谷怪談」の直助役も、当初は推しに回ってくるものではなかったらしい。

でも、推しはこの映画で好演、作品は海外でも評価され、中川信夫監督にとっても、主役の天知茂にとっても代表作となった。

中川監督を偲ぶ対談に、

「歌舞伎の様式美のように整った仕上げは、世界のオカルト映画の最高傑作とフランシス・フォード・コッポラが激賞しました。」

と、この「東海道四谷怪談」が好評であったことが述べられていた。

 

私は怖い映画は好きではないので、昼間、怖いところは飛ばし、飛ばし、推しの登場する場面を何度も見る。

お袖には、「お前みたいに身分の卑しい男・・・」と言われるのだが、推しはどう見ても武士か大店の若旦那で、

身分の卑しい男には、見えない。(笑)

推しと同年生まれの三国連太郎の人生と比べれば、推しは、特攻隊員だったとしても苦労知らずのおぼっちゃまだ。

 

「たそがれ酒場」という映画があった。この映画には、シューベルトの「菩提樹」やフォスターの「夢見る人」

ビゼーのカルメンより「闘牛士の歌」などが本物のピアニスト小野比呂志とバリトン歌手宮原卓也によって歌われる。

そしてストリッパー役の津島恵子が華麗なダンスを見せる。音楽は芥川也寸志。

酒場に集う人間模様を描いた作品である。推しも出演されているのだが、江川宇礼雄が演じる毎朝新聞記者の

部下役で、セリフはほんの一言しかない。二度目からは、推しの登場する三か所に焦点を合わせて鑑賞する。

 

「たそがれ酒場」

https://www.youtube.com/watch?v=a-HHknoOA44&t=3847s

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推しからもらった手紙の一文が蘇る。

「たとえセリフのない役でも、そこに出てきただけで江見であるとわかってもらえるような役者になりたいと・・・」

高校生だった私には、あまり意味がよくわからなかったが、今、なんとなくわかるような気がする。

私は、数多くの出演者が同時存在している中で、すぐ推しを見つけられる。笑

 

 

しかし、映画会社が倒産後、テレビ界に進出した推しは、創生期にたくさん制作されたテレビドラマで

主役をつとめる作品に恵まれた。「眠狂四郎無頼控」「新吾十番勝負」「新納鶴千代」再び「眠狂四郎」

テレビデータベースによると、サスペンスものや、ホームドラマ的なものにも多く出演されていたようだ。

共演された池内淳子さんが後に、「江見ちゃんのクールなお芝居はすばらしかったんですよ。」と語っておられた。

江見ちゃんという言葉から、推しが皆から好かれて楽しくドラマを作っていたのだろうと

嬉しく思った。

 

YouTubeで見つけた「新吾十番勝負」の主題歌に関する解説で、この1958年のテレビドラマは、カラー放送だったとわかった。

まだカラーテレビが出回っていない時期に、NHKよりも早く実験的な試みが行われていて、外国のテレビ関係者はその

カラー映像をほめていたと語られていた。みな、制作意欲に燃え活気のある現場で楽しく仕事をされたのだろう。

 

40代に入ってからは、脇役として、レギュラーや準レギュラーで多くの作品に出演され、亡くなられた2003年の作品も

出ていたので、80歳になるまでがんばっておられたのだと感慨深い。昔の映画で見た多くの俳優さんたちは、いつのまにか

見えなくなったなかで、推しの俳優業は58年間休みなく続けられた。

後年は、現代ものも、時代劇も悪役が多く、「名悪役」として知る人ぞ知る俳優になられた。

 

いかにもお人よしで純情、気弱な青年から、ニヒルやクールな雰囲気をまとい、二の線で売った壮年時代、

そして世の悪を一手に引き受けたような人間を演じ続けた晩年まで、ずっと映像が残っている俳優という

職業は、不思議なものだと思った。

 

残念ながら見ることができなかった1976年からの演劇活動や俳優の地位向上のためにいろんな役を受けて

がんばっておられた働きも

地道に俳優としての道を全うされた推しだからこそ、できたものだと納得できる。

本当にお疲れ様でした。

 

「アツカマ氏とオヤカマ氏」

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「怪異宇都宮釣天井」

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「エノケンの怪盗伝 石川五右衛門」

 

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若葉の季節

2021・4・9

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バス停に立つと、かつらの木が一斉に芽吹いているのがまぶしい。

小さなハート型の葉っぱが空に向かって伸びている。

 

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遠くの林は、今だけの薄緑に輝き、いつか見た風景画を思い起こさせる。

 

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ウコンでも御衣黄でもないけど、まだ咲いているさくら・・・。

 

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そして椿

 

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続 推しの人生をたどって (第108回 国会 予算委員会での発言記録)

2021・4・5

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(2018年 5月発行 現代座レポート74号より)

 

ここ、一週間ほど、私は推しの出演された映画やドラマで、画像の残っているものは、ないか・・・

目が疲れるほど、片っ端から探し回った。

映画はごく一部見つけることができたが、テレビドラマの見たいものは、ほとんど残っていない。

 

 

また、「江見渉」や「江見俊太郎」で検索するとものすごい数、でてくるけれど、大体が映画やドラマの

データベースなどで、推しが私的には、どんな思いを持っておられたのか等、私が知りたかった資料はほとんど出てこなかった。

 

・・・1947年に推しが舞台「出家とその弟子」に唯円として出演され、早くから演劇活動もされていたという記述が

あったが、これはあまりにも遠い昔なので、手掛かりはつかめないだろう・・・と思ったが気になっていた。

 

また推しと同じ1923年、9月に生まれ、出身地も同じ、のちにペギー葉山の夫となった根上淳が法政大学から学徒動員

彼は入隊後、胸を悪くして入院中に終戦を迎えたのだが、戦友のほとんどが特攻隊で戦死したという。それ故、根上は俳優

となってから戦争映画への出演は拒み続けたらしい。

 

推しは、自分が特攻隊の生き残りであることをどのように感じて生きてこられたのか・・・これも知りたかった。

 

もう、これ以上検索をかけても、同じことしか出て来ないだろう・・・・ちょっと疲れたからやめようと思っていた時に

推しの人生に近づける資料が見つかった!!!

 

一つは、「敗戦を語る俳優たち 7」というブログ。

もう一つは地域に根差したNPO演劇活動を続けている現代座が年2回発行しているレポートだ。感謝、感謝!

 

ブログでは、推しは、1943年12月に海軍航空隊少尉として入隊し、特攻隊員に志願して1945年2月から

福岡県築城海軍航空基地に配属され、訓練を受けたこと、その頃は一式陸上攻撃機は不足し、屋根のないトンボ

という飛行機に250キロ爆弾を積んで敵艦に突っ込んでいったこと、そして推しの日記によれば、1945年

8月14日まで編隊訓練をしたことなどが記されていた、という詳しい記録があった。

 

そして嬉しいことに、推しが俳優の地位向上のために尽力された記録が、小泉内閣の第108回国会

予算委員会の公聴会、会議録(1987年3月20日)に残されていて、推しの生の言葉が紹介されていたのだ!

推しは、「舞台入場税対策連絡会議 代表・俳優」という肩書で私見を述べたあと、次のように語ったとある。

ちょっと長いけれど、一人でも多くの方が読んでくださるとうれしいので記録しておく。

 

「早稲田にいるとき、学徒出陣になりまして、海軍航空隊にはいりまして、特攻の志願をさせられたとき、私は何の

迷いもなく、志願しました。つまり八紘一宇の精神なんていうことが言われていたわけですが、世界をもって一つの家と

なしというそのこと自体すばらしいことだと私は思ったのですね。世界平和のためだと思ったのです。

 

しかし、戦争がああ終わりました。つまり最後に原爆みたいな多くの犠牲者の上にたって、私の命が、死ぬべきであった

私の命が生き延びた。多くの戦友を失ったりしながら・・・

それで、私が帰ってきた時に、一番最初におふくろに会った時に、考えもせず出た言葉があります。

門のところで迎えたおふくろに、「お母さん、すみません。」と言ったのです。

考えていなかったのですけれども、つまり、おめおめと生きて帰ってきちゃった、おれは死ぬ気で行ったのに・・・ということなんですね。

 

それからは、何をしようかと男一匹、これから国のために何をしようかと考えたときに、国境を超えて

本当に戦えるものは、武器ではなく、芸術の世界だと考えまして、その中で一番たくさんの人に接することが

できる映画というものを選んでいろいろやったわけでございますが・・・・やっているうちに、何か物足りないというか

自分の思いがなかなか燃焼しきれないということを感じます。

そして学校公演というものに取り組むのですが、その学校公演のときに、初めて自分はちょっとお役に立っている

のではないかと・・・・。(公聴会 会議録より)

 

これを見つけたときは、嬉しかった。なにしろ推しの言葉は、もらった手紙の言葉以外は、みんなお芝居のセリフばかりだったからだ。

 

この国会での言葉どおり、推しは自分の特攻隊員としての経験をもとに脚本を書き、あちこちの小中学校に公演して回っていた。

そのお芝居は「蒼い空」そして朗読劇「消えない星」というタイトル。

 

この推しの原作による芝居を推しの死後も受け継いで上演してくれている劇団がNPO現代座だ。

この劇団は東京小金井市に本拠を置き、地域に根差した地道な活動を続けている劇団で、推しは生前

賛助会員となり、交流を続けておられたらしい。

 

この現代座が発行しているレポートに推しのお芝居が全国各地で上演されている様子が出ていた。

そのほか、推しは平和のための戦争展など、各地で開かれるイベントで戦争体験を語ったり、自作の朗読劇を

披露したり、トークイベントに参加したり、平和を願って活動を続けておられた。

また三回忌のときには、「語り継ぐ会」として推しを偲ぶ人々が集い、劇を上演されたらしい。

 

最後は推しに敬語を使いたくなってしまった。演じた役がほとんど悪人で、名悪役と言われている推しだけれど、

実際は、こんなに誠実に人生を歩んだ人だったのだ。もうどこのサイトだか、わすれてしまったけれど、推しの人物評価で

一番多かったのは、「愛すべき人物」というのだったのが、あたっていると納得した。

私の好きだった推しは、みんなから慕われた「愛すべき人物」だったのだ。

 

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ちびっ子カメラマン②

2021・4・2

 

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「なんか・・・きれいな写真、撮りたいなあ。」

霧を吹きかけてベランダの植物を撮ってから、あれこれ考えていた。

 

うさこさんの花筏の写真を送ったら

「すご~~~い!!」と感激して、考えたのがこの写真! なるほど、いい思いつき。

 

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夕日も毎日眺めている。

 

今日は、昭和記念公園に行って桜を撮ってきた。

 

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「ねえ、ねえ、これリバティのプリントにしたらきれいだよ。」

 

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推しの人生をたどって

2021・3・30

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「推し、燃ゆ」で、自分の 中高時代の推しを思い出した。ネットを徘徊して、古い映画を見ながら

私の知らなかった推しの仕事のあとを辿ってみた。

 

推しは、22歳、早稲田大学在学中に学徒動員、海軍航空隊に少尉として入り、特攻隊を志願した。

でも、後、4,5日で出撃という時に、終戦となり、命拾いをした。

 

推しの実家の店子に6代目、尾上菊五郎がおられ、美男子だった推しに俳優になることを勧められ、

素直な推しは、復員後すぐに東宝に入社した。その後新東宝に移り、1960年、その会社が倒産するまで

たくさんの映画に出演した。

 

推しの映画は、60本以上あったが、ほとんどが準主役、残っている映画を見ながら、歌舞伎俳優で女形になれば

抜群に美しいと思われる顔立ちなのだが、男らしさという点では、今少し、上原謙、池部亮、菅原文太などが

活躍している中では、なかなか主演は難しかったろうと感じた。それでも、推しは与えられた役を一生懸命こなしていた。

酒と女がらみのボス、犯人役、日清戦争時の清の通訳、日露戦争では、第三司令部の山岡少佐、人のいい殿様、etc.etc・・・。

 

私は新東宝が制作するような映画はほとんど見なかったが、今見ても、気の毒と思われるような映画が多く、推しは

いわゆる悪役俳優路線だった。その中で「東海道四谷怪談」の直助役が高く評価されたとか。

 

ビデオテープが高価で、生テレビも多かった1950年代後半から、1965年あたりまで、推しはテレビドラマ「眠狂四郎無頼控」

「新吾十番勝負」「眠狂四郎」(いずれもNTV)で主演した。

その時、初めて私は推しを知り、熱烈なファンになったのだ。

眠狂四郎の本は貸本屋さんに行って、全巻読み通し、推しにフアンレターを出した!

 テレビドラマデータベースより

 池内淳子は後に回想している。「日本テレビとはご縁が深いです。放送初期の生放送の『眠狂四郎』に美保代役で

出演させて頂いたくらいですから。若い方にとって「眠狂四郎」というと田村(正和)さんらしいのですが、

なんといってもあの頃は江見(俊太郎)ちゃんでした。あのクールなお芝居は、本当に素晴らしかったんですよ。

【この項、談・池内淳子(『日テレドラマ半世紀』(2005年、日本テレビ刊)より引用)】」

 

 

その頃は、時代劇だけでなく、現代ものにも、多く出演されていたように思う。

ああ、推しが一番美しく、充実していた時代だったのに、このころのテレビドラマの作品はほとんど

残されていないのだ。残念・・・。

 

映画会社が倒産したのちは、テレビ中心に活躍され、晩年、亡くなる3年くらい前までの出演番組リストは

数えきれないほどだった。きっと推しは「悪代官」役で皆に周知されていると思う。

 

デビュー作品「民衆の敵」では現場監督の役を演じておられたが、なんかぼうやといった感じで、可愛すぎる。

「果てしなき情熱」でのボーイ役では、やんちゃな感じがでていたが、当時人気で貫禄の笠置シズ子と対面での演技

その懸命な演技をシズ子さんが温かく見守っておられる感じが伝わってきた。まだまだ若い推し。

 

徐々に貫禄を増し、1945年から亡くなる2003年まで、休みなく活躍されていたのだ。

1975年ころからやはり女優の奥様と一緒に、子供たち向けの演劇を上演する劇団を運営しておられたようだ。

私は成人し、やがて推しのことは、忘れていった。

 

今回、推しの人生を仕事の上だけだけど、辿ってみて、なんだか、まじめな人だったんだなあと思えてきた。

だから神風特攻隊員にも志願し、誘われて入った俳優業にも、こつこつとまい進した。脇役の人生を誠実に歩んだ人だったのだ。

 

推しは、晩年、俳優の権利向上、生活向上のために、さまざまな役を引き受け、尽力されていたようだ。

協同組合の日本俳優連合副理事長・芸団協常任理事・芸術文化振興連絡会議議長・東京芸能人国民健康保険組合理事長等々。

そして東京都功労者や文部大臣賞も受けられていたようだ。

(濱田研吾さんのブログより)

https://hamadakengo.hatenablog.jp/entry/2019/07/07/200923

 

 

 

2003年11月17日午後11時22分、肺癌のため東京都三鷹市の病院で死去(80歳没)

 

推しは、忙しかった人生を終え、今は、ゆっくりと休まれているのだ。

 

息子から「母はミーハー」と思われるのが、ちょっと恥ずかしくて、(本当はいつまでもミーハー)

推しからもらった2通の手紙を捨ててしまったのが悔やまれる。

私が人生でもらったたくさんの手紙の中で、一番めりはりのある流れるような美しい文字で、便箋4,5枚に

自分の俳優としての持論が書かれていた。そしてまだ高校生だった私に、

「のんちゃんはまだ若い。これからたくさん世の中のできごとを見て勉強しなさい。」みたいなことが最後に書かれていた・・・・。

私の推しは、江見俊太郎さんでした。

 

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 (東海道四谷怪談)1959

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 (果てしなき情熱)1949

花だより

2021・3・27

 

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今朝、Lineでうさこさんから素敵な花だよりをいただいた。

立派な大皿に浮かべた満開の桜・・・花筏

 

この大皿は、きっとご主人が大切にされていたものに違いない。

全国の窯元を行脚して、お気に入りをたくさん集めておられた・・・。

 

 

そうだ、私もさくらを見てこなくっちゃ。

先日はまだ5分咲きだったので、宿題がまだ終わっていない子供の気分。

 

歩いて3分、さくら並木に出ると、どの木もだいぶ大きくなっている。

この木をバックに、夫は毎年写真を写していたっけ。

 

木はゆっくり大きくなり、人の暮らしは刻々と変化していく。

 

椿も満開、帰り道の緑道は、もう新緑の気配。

 

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ちびっこカメラマン

2021・3・25

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孫が携帯を持つようになって、Lineのやり取りができるようになった。

時々、写真を送ってくる。

 

ある日の午後、遊んでいたら虹を発見!

私は、ずっと室内生活で気づかなかったが、昔、虹を見つけた時のうれしさを思い出した。

「友達と遊んでいて、気づいたんだよ」

 

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今度は小さな花瓶に挿したパンジー

次の日は萎れたパンジーが花瓶にいっぱい!

「捨てるの、もったいなかったんだ・・・」

 

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そして、今日は、???ちょっと変わった写真

これは植物がきれいに見えるように霧を吹きかけて撮ったのだそうだ。

霧を吹きかけただけではつまらないので、それを今度は窓ガラス越しにパチリ。

おお・・・なんか雰囲気出てるじゃない?

婆は思いつかない写真だ。

 

そして闇夜に白い花火みたいなのは、

なんと、鏡に霧を吹きかけて、部屋の電気を消して撮ったのだそうだ。

ふ~~ん、考えるねえ。

 

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桜が咲き始めました。

2021・3・24

 

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花冷えと、よくいうけれど、室内にいると、まだひんやりとしているこの頃。

 

でも、東京の桜は満開宣言をしました。

 

この辺りは5分咲きかな。

 

椿は満開・・・見上げると桜の向こうの青空に上弦の月、月齢、9,7。

 

今年は、今年こそは、この世界に穏やかな日々が訪れますように・・・。

 

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頑張った桜草、ありがとう・・・また来年

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「推し、燃ゆ」

2021・3・20

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ねえ、かがみの孤城、文庫本になったよ。早いね。」と、小四の孫に言ったら

「うん、知ってる。本屋大賞もらって売れたからだよ。」

 

そうなんだ・・・孫が夢中になって読んでいた分厚い単行本は、1800円+税、文庫本は上下2冊で

1560円+税、値段はそんなに変わらないんだなあ・・・等考えていると、

「あ~あ、かがみの孤城、もう読み終わっちゃった。なんか、惜しいなあ・・」と言いながら、この間また、本屋さんに

行って買ってきたという本を出してきた。

 

「推し、燃ゆ」

 

「え? これ、この間、芥川賞もらった作品じゃない。」

孫は、この本の濃いピンクと描かれたリュックの少女が目に飛び込んできて、買ったのだそうだ。

なるほど、手にしっくりとする小さめの本で、可愛い魅力的な装丁だ。

でも、読み始めてみたら、難しくて意味がよくわからなかった・・・・。

「婆が読みたかった本だよ。貸してね。」「うん、いいよ。」

 

最近は断捨離が頭にあって、本はあまり買わない。でも、今度の芥川賞は、どんな作品なのか・・・ちょっと気になっていた。

ラッキー!

 

保健室の常連で、生きづらさを抱えた高校生、あかり。

4歳の時、初めてピーターパンの舞台で自分の頭の上を飛んだ12歳の男の子に 高校生になったあかりは、古いビデオの

中で再び出会う。今は落ち着いた青年になり、アイドルグループまざま座のメンバーとして活躍している上野真幸、彼が

ふとした瞬間に見せる眼球の底からにらみつけるような目つきに、あかりは、自分自身の奥底から莫大なエネルギーが

噴き上がるのを感じ、自分が生きているということを思い出す。

 

あかりは、CD、 DVD、 写真集はもちろん、ライブに出かけ、グッズを買う。

そのためにおこられながらつらいバイトをがんばっている。

ラジオ、テレビ他であらゆる推しの言葉を聞き取って書きつけたものは、ファイル20冊以上!

 

あかりは、推しの生きている世界、感じている世界をまるごと自分も感じたいと思い、今では、推しが

インタビューにどう答えるかもわかるようになっている。

 

そんな推しが、ファンを殴り、SNSが炎上する。

あかりは、ずっと応援し続けると決意し、彼が少しでも人気投票で上位に食い込めるようにと、CDや

写真集の購入に励み、ブログでも皆に呼びかけるが、推しは下位に落ち、やがてグループをぬけ、やめてしまう。

 

同時並行で、あかりの実生活の実態が描かれる。あかりは、高校を中退、家族からも突き放され、混乱の中、一人暮らし・・・。

推しの最後のライブに出かける。ピーターパンのビデオで「おとなになりたくない~」と叫んだ少年は、

あかりがいつも聴いていた歌声とは、全く違う歌い方で、会場の空気を包み込んでいた。

あかりは叫ぶ。あたしから背骨を奪わないでくれ~

 

アイドルをやめた上野真幸が、マンションで暮らしているところにあかりは辿り着く。

見知らぬ女性が取り入れていた洗濯物を見た時、あかりは「推しは、人になった。」と実感する。

 

推しを推すことが生きるすべてであったあかりは、その背骨を奪われた。

ずっと自分の肉がうっとおしいと思ってきた自分を自らの手で壊してしまいたいとあかりは綿棒のケースを床に投げつける。

バラバラになった綿棒を拾いながらこの四つん這いで生きる姿勢が自分なのだと思う。

 

読み終わって、ああ、ちょっと苦しい感じのする作品だなあ・・・と思ったが、こういう感覚は有り得ると十分に

納得できるものでもあった。こんな体験を通して、それを壊されることでまたさらに次のステップにと成長していく予感も感じられる。

 

 

推し・・・自分にも夢中になった時代があった。私の推しは中学から高校まで、ある憂いを帯びた感じの俳優さんだった。

ファンレターは何度も出した。中学の修学旅行で東京に行った時、伯母が宿舎にいた私を呼び出し、ひととき、街中を一緒に歩いた。

その時買ってもらったステンドグラスのランプ・・・大切にしていたけれど私は「推し」に送った。惜しくはなかった。

推しには、自分を元気づけ、将来に希望めいたものを感じさせてくれる何かがあった。

 

いつだったのか、その俳優さんから返信の手紙が届いた。早稲田大学専門部、政治経済学科卒のその俳優さんは、すばらしく

達筆で、自分が俳優として、どんな心がけで演技に臨んでいるかを詳しく書いた長い手紙をくれたのだった。

ぼろぼろになるまで、何度も読み返したその手紙は、後年まで残していた。

その俳優さんは、後年は主役をはることはなくなったけれど、自分が書いておられたように、わき役でも

○○○○であるという存在感を出しながら、ドラマに出ておられた。

 

追記

もしかしたら、手紙が残っているかも・・・と2階のクローゼットにしまっていた大昔の手紙を入れた段ボール箱を

探してみた。中学、高校時代からの友や夫、父親、伯父、伯母、そして今は誰だったのか思い出せない人の手紙も

出てきたけれど、推しの手紙はなかった。残念・・・

 

でも、ネットには、推しの業績が書かれていた。びっくりしたが、神風特攻隊員だったそうだ。あと4,5日で出撃・・・

そして、復員後、武力に寄らず世界と対等に渡り合える場は芸術しかないと考え表舞台だけでなく、俳優の地位向上

のために、いろいろな仕事を引き受け、がんばっておられたのだとか・・・。地方の子供たちに見せる劇団の運営も

続けておられたそうだ・・・。

今は、いろいろ情報が得られるが、昔は新聞だけだった。でも、私の推しが、誠実で尊敬できる人でよかったあ。

 

そういえば、先日「ゴゴなま」に出演された秋元康さんが、「若い人たちの歌を作詞するとき、思うことは?」

と問われ、「私は今、62歳だけれど、今の子の思いも自分の高校時代とたいして変わってはいないのです。

ただ、昔は、手紙、日記・・・今はメールやラインとツールが違うだけです。」と、話しておられた。

 

この「推し」もきっと一緒。

 

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   (孫の作品)

 

 

 

浮舟の物語紹介 ➂

2021.3・18

 

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浮舟が失踪、右近、侍従、乳母たちは、おろおろする。

 

匂宮が使いを出しても、山荘は皆、泣きまどい、らちがあかない。

浮舟の母もやってきて浮舟の最後の文を見つけ、入水したことを知り、せめて亡骸をだに…というが、

二人の侍女は、悪い噂が立たぬようにと、急いで浮舟の衣装などを車に投げ入れ、野原で焼かせてしまった。

匂宮の恋のとりもちをした良心の咎めがあり真相を隠そうとしたのである。

 

宇治十帖では、右近や侍従などの侍女たち、また匂宮の家来大内記、薫の家来仲信など周辺の人物が、個性豊かに

描かれており、それぞれの立場から主人公たちの物語を支えているのが面白い。

わき役ながら存在感があり、光っているというのだろうか。

 

石山寺に籠っていた薫は落胆、匂宮は病になってしまった。

薫は、意を決して匂宮を訪ねる。

薫は浮舟の死を語り、「宮もご存じのことと思うが・・・」と迫るが、宮は言葉少なである。

 

この場面は、薫という人物がみごとに表現されていて、緊迫感がある。

薫は、宮と浮舟のことを十分承知しているが、それをあからさまには言わず、あくまで冷静な態度をとる。

しかし、動揺は隠せず、本当のところを言えば、泣いて訴えたいところである。

「さればよ」

「なほ、よその文通はしのみには、あらぬなりけり」

「いつよりなりけむ」

「我をいかにをかしと物笑ひし給ふ心地に、月頃おぼしわたりつらむ」

「少しずつ気色ばみて・・・」

これらの激しい言葉は、みな心の内の言葉である。しかし、薫の秘めたる激情が読み取れる。

 

 

宮はその冷静な薫に腹が立つ。もう涙もとどめることができない自分にくらべ、「世の中の常なきことを

しみて思へる人しもつれなき・・」と。

しかし、ついに薫は我慢できず、浮舟のことを話し、「きこしめすやうも侍るらんかし」とて今ぞ泣き給ふ。

 

さて、薫も匂宮も浮舟の死に合点のいかないことが多く、侍女たちを追及する。

薫は宇治に出かけ、右近から話を聞く。

「なほ、言へ。我には、更にな隠しそ。」の強い言葉に右近は、薫はすべてを知っていると感じ、真実を語る。

薫は、色々尋問すれば、答えるものだと思うが、自分と匂宮の間で苦しんで、この宇治川に入水した浮舟を思い

強いて問うのをやめ、悔やみつつ宇治を後にする。

 

「強いて問はむも、いとほしくて、つくづくとうち眺めつつ、宮を珍しく、あはれと思ひ聞こえても、わが方を

さすがにおろかに思はざりける程にいとあきらむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きを頼りにて

思ひ寄るなりけむかし。わが、ここにさしはなち、据えざらましかば、いみじき憂き世に経とも、いかでか必ず、

深き谷をも求め出でまし・・・・」

 

薫は、浮舟の母に丁寧な文を送り、常陸の介の子息の後見を約束、四十九日の法事をとり行う。

 

浮舟の四十九日のあと、話は、明石中宮の身辺、女一宮、小宰相、中将の君、さては、今や宮仕えの身となった

宮の君の話へと移っていく。

はじめ、ここを読んだとき、なぜ浮舟の話から離れて薫の女君たちの話になるのかと思ったが、今は、

この部分が源氏物語の最後の数行に呼応しているのだと思うようになった。

 

浮舟は出家により俗世のわずらわしさから離れる道を選んだが、匂宮や薫、男君たちは、まだ俗世の次元で

生き続けているのである。最後の数行の部分の意味は、この「蜻蛉」の後半部分に具体的に描かれていたのだ。

 

「蜻蛉」の巻と、時間的には同時進行で、「手習い」の巻は、浮舟のその後を語る。

 

   つづく ④へ

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«浮舟の物語紹介 ②

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