郷愁の風景(5) 山は友だち
私は後年、信州の山々もよく歩いたし、富士山にも、奥日光の山々にも何度も出かけた。それはそれで美しく壮大で魅力はあるけれど、たった200メートルのこの衣笠山は私にとって特別な意味を持った山だった。幼い孤独な少女を、この山はいつも、あたたかく迎えてくれ、慰めてくれたのだ。
衣笠山の登り口は現在、堂本印象美術館になっているすぐ横にあった。ゆるやかな坂を少し登って右に折れると当時はまだ食料不足の時代で、山の入口付近には、さつまいもなどが植えられた畑があった。棚田ならぬ棚畑を2,3枚よじ登っていくと、そこは雑草や野茨が茂る見晴らしのいい野原になっていた。春には、蕨などが沢山採れる場所だ。そこまで行くとちょっと一休み、さわやかな風に吹かれながら、私たちが住んでいる家々の屋根を見下ろす。
「さあ、今日もやってきましたよ!」一人で山に登る時は、いつも何かぶつぶつおしゃべりをしていたような気がする。あるときは、長い間の眠りから醒めたお姫様であったり、あるときは、山を知らない海の底からやってきた女の子だったり、物語は、山登りの楽しさを倍加してくれ、次々と湧き出てくる想像に胸をはずませながら登っていく。
やがて木々が茂る道に入っていく。でもまだ背の低い木々が多く、このあたりには食べられる紅い実をつけた魅力的な木もある。チューリップのような形の紅い実は、熟すととても甘くておいしい。
「ありがとう!今日はごちそうがいっぱい、海にはこんな木の実はないんですもの。」
海からの女の子は口のまわりを紅くしながら、木にお礼を言ってまたずんずん登っていく。道はいくつもあって真ん中の道は、衣笠山らしからぬ杉の植林地みたいになっていた。この道は近道だけど、急で石がごろごろしているし、おまけに少し暗いので、嫌い!今日はもっと右よりの道をとる。
その道をしばらく行くと、少し平らになっている場所に出て、そこからはずっと遠くの町のようすがよく見える。石に腰かけながら、木々のざわめきを聞き、遠くに小さく見える「下界」を眺めていると「私」は今、特別の世界に生きているように思えてわくわくした。
一休みするとさらに上をめざして登っていく。頂上が近いのか明るくなってくるのだけれど、なかなか頂上には辿り着かない。やっとこさ、もうこれ以上の上はないという平地に出る。しかし、そこは、あまり見晴らしがよくなくて、山の裏側はなんとなく不気味な感じがした。山は南東に向けてはその顔を見せて微笑んでくれたけれど、北西の顔はほとんど見たことはなかった。
小さな私はちょっと淋しく怖くなって、山をかけおりる。今度はうんと南よりの明るい道だ。木の根っこを飛び越し、松の枝に手をかけ、漆の木を避けながら一気にかけおりる。
そんなとき、もう山は話しかけてくれない。夢中でかけおりてさっきの山の入口が見えるとほっとして歩をゆるめる。野原の陽射しはさっきと同じようにのんびりと穏やかだ。山もまたやさしい顔に戻っている。
この山にいったい何度登ったことか。山のどこにうさぎの穴があって、どこに食べられる木の実があって、どこに登りやすい木があって、どこにかぶれる漆の木があるか・・・みんなみんな知っていた。
☆ 現在の衣笠山(小学校の同級生S君撮影)
南東から
私の家があった通りから
(野原や松林だったところは中学校)
南側から
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