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2008年10月

ウィーン・フーゴ・ヴォルフ三重奏団

2008・10・29

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昨夜は、久しぶりに池袋にある東京芸術劇場に出かけた。ケーブルテレビの企画で毎年秋にクラシックコンサートが開かれるのだが、なんといつも籤運の悪い私が抽選で当選!

今年は2007年に結成された「ウィーン・フーゴ・ヴォルフ三重奏団」の演奏だ。イタリア人ピアニストのマリオ・フォルメンティと前のウィーンフィルコンサートマスターのヴァイオリン、ダニエル・ゲーデ、そして現在も楽団員のチェリスト、ラファエル・フリーダーというメンバーである。

東京芸術劇場は、私がまだ西武沿線に住んでいた頃にできて、何回か行ったことがあったが、ほんとうに久しぶりで懐かしかった。大ホールは、約2000人収容のホールだが、ほぼ満席、あの立派なパイプオルガンも健在だった。

プログラムは、モーツァルトの「ピアノ三重奏曲、第7番、ト長調 K564」ベートーヴェンの「ピアノ三重奏曲、第5番、二長調、作品70-1(幽霊)」、そしてドヴォルザーク、ドビュッシー、クライスラー、ピアソラの小品だった。小品の何曲かは知っていたが「ピアノ三重奏曲」は、ふだん、あまり関心もなく、聴いたことがなかった。

私はマイナーの曲が好きなので、「ああ・長調か・・・」と思っていたが、モーツァルトのト長調も途中で短調に転調し、ベートーヴェンのニ長調も第2楽章はニ短調になっていた。特にベートーヴェンの第2楽章は、甘く悲しげな美しい旋律の中におどろおどろしいフレーズも出てきて、情景が目に浮かぶようなとてもドラマチックな曲だ。チェロという楽器の魅力がとても際立ち、ソロの部分では、惹き込まれてしまうほど魅力的だった。

ピアノの音色もとても美しかった。弱く小さな音もしっかり聞こえてきた。またドビュッシーの「花火」など力強く迫力のある演奏では、身体全体を使ってピアノに向かい、勢いで椅子が左右にカタカタ!とすべっていてはらはらした。()

また最近ヨーヨー・マさんたちの演奏でCD化され、人気が出ているというてピアソラの曲「オブリビオン(忘却)」や「ブエノスアイレスの秋」もとても美しい曲だった。私の父も昔、バンドネオンに熱中していたことがあったので、きっと世界的なバンドネオン奏者だったというピアソラに憧れていたのかも知れない。

アンコールは3曲もあって大満足の演奏会だった。

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夢か現か・・現か夢か

2008・10・26

Nakagawa_010_2    最近、朝起きてからも、はっきりと覚えている夢を見ることが少なくなった。友がいつか言っていた。「わたしらの年になると、夢はみているんやけど、記憶力が弱くなってるから朝まで憶えてられへんにゃて。」ええ!!そうなの??

確かに、最近の夢は、みていたような気はするんだけれど、どんな夢だったか・・・何となくいい夢であったり、嫌な夢だったり・・・という感じは残っているが、ストーリーも登場人物もはっきりしないのだ。

そういえば、昔は実にはっきりとした夢をよく見た。誰かに追いかけられて必死で逃げているが、崖っぷちに追いつめられるような「恐怖もの」、なんかすごーく納得させられ、人生の深遠を覗き見したような「哲学もの」、好きだった人や憧れの人が登場して自分に好意を示してくれる甘い「ラブストーリーもの」、またまた仕事に間に合わなかったり、失敗したりの「あせりもの?」などなど。これらの夢の中には、「ああ、夢で助かった」というものや、目覚めてしまって残念、もう一度寝て、夢の続きを見たいような夢もあったし、行ったことのない外国の街を歩いているような夢もあり、それが実にリアルで、例えば水の流れや風を身体に感じる場合もたくさんあった。

最近は、夢にそういうリアルさがほとんどない。毎日を真剣に生きていないのだろうか・・・なんてちょっと心配にもなる。

夢といえば、もう一つ。

こんなことを言っていた人もいた。「すばらしい夢を見て目覚めた瞬間、もしかして目覚めた今が夢の世界で、さっきの夢が現実の世界であったのかもしれない。」

私も似たようなことを考えたことがあった。しかし、もしそうだとすれば、今見ている現実という夢は長い長い連続物だ。いつも同じ場面設定に連れ戻され、同じ配役を演じる。

ああ、そういえば、「マクベス」のあの台詞

Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more:

これは、ちょっと悲しいけれど、もっと、もっと前向きに考えればいい。もっと楽しく、余裕をもって自分の役を演じる。この世界という舞台のさまざまをよく見て共演者と交流し、共感し、楽しむ。

神様、どうか私の役は、すばらしい役でありますように。

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秋薔薇のように

2008・10・24

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春にたくさんの花を次々咲かせてくれたバラは、暑い夏、ほんの少し休憩して、今また蕾をつけている。数日前、花がいくつか開いた。春に咲いた花の半分の大きさもない小さな花だ。ちょっと栄養がたりなかったかなあ。いや、寒くなってきたせいかしら・・・。

でも、秋の澄んだ陽射しの中でその小さなバラは、すっきりとしていて、とても清々しい。くるくると巻いた花びらは、いかにもバラ!という気品ある風情で、やわらかな緑の葉っぱの上にしっかりと立っている。春や初夏のバラのように、はなやかな雰囲気はないけれど、つつましやかで、清楚なたたずまいの中に、バラの生命力の強さが感じられ、自分もこのように凛と美しく生きられたら・・・・と思ってしまう。

もうすぐやってくる冬をしっかり見届けるかのように、冷たい空気の中にひっそりと咲いている。

5月にはこんな花でした。

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初めての句会

2008・10・18

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この年になって初めて・・・ということは、山ほどある。でも考えたら、きっと経験もせず、お目にもかからず、知らずじまいでこの世を去る・・・ということの方が多いに決まっている。だからこの年になって初めてでも、体験できたことは、私に縁があったというか、有り難いことなのかも知れない。

「俳句」という文芸には、今まであまり興味がなかった。第一、あまりよく理解できない。この句のどこがいいのか、どんな感動を与えてくれるのか・・・頭をひねってもピンと来なくて次の句へ読み進む。またよくわからない・・・。その点、短歌は言葉が7・7多いぶん、私にもそれを詠んだ人の気持が理解できる場合が多い。でも、短歌も俳句も言葉を知らないと作れない。それも日常的に使うような言葉ではなく、短詩系独特の古語や漢語領域の言葉だ。これはとても私の力では、無理だ。だから近づかなかった。

 ところが、それこそ縁あって、俳句を教えてもらうことになった。行きがかり上、やむなく・・・というのが正直なところなのだが、「3日までに三句作って無記名で、出してください。」とぐんぐん進めて来られる。仲間が7人、でも師匠をのぞくと、みんな初心者なので、少しほっとした。

 ところで、夫は5年ほど前、嫁の親戚の方が出された俳句の本を見せてもらって、感動して以来、ずっと、俳句日誌なるものを続けている。その方は農業をやるかたわら、俳句をずっと続けて来られたようで、ほんとうにありふれた日常の生活で眼にしたもの、心に感じたものを俳句にしておられ、興味を抱いたようだ。時間があると歳時記や辞書をめくりながら、考えている。「これ、どっちがいいかなあ・・・」と二句の評価を訊かれることもあるが、たいていの場合、よくわからない。一昨年からは俳句の通信講座を受講し、俳句を送っている。ちょっと先輩なのだ。()1週間ほど考えてやっと2句できた。Yuukei_2

「こともなく過ぎていくなり居待月」

(私の寝室の窓はひさしが浅く、部屋に寝転んでいるとそこから庭の松の枝越しに月が美しく見える。そんなとき、こうして月を眺めていられるやすらかな時間に感謝の思いが湧いて来る。ほんとうは、寝転んで見ているのだけれど、臥待月では字あまりになるので、居待月にした。ふふ、いいかも・・・。少なくとも自分の気持ちは少し言えた。)

蜩に夕餉の支度急かさるる」

(夏が終わり、秋のはじめ、セミはその命をかけて、鳴き通す。その中でもかなかな・・・と鳴く蜩の声は耳に残る。とりわけ夕方近くになるとさかんに鳴きはじめ、そろそろ夕飯の支度にかからねば・・・と主婦の私は思うのだ。う・・・ん、これはありきたりの心情だけれど。)最後の一句は夫が作ったものを投稿することにした。

「老い独り畑耕す竹の春」

(これは、この住宅地から少し離れると、100年前にタイムスリップしたかと思われるような畑地と農家があり、その脇は大きな竹やぶになっている。夫の散歩コースなのだが、おじいさんがいつも一人で畑を黙々と世話しておられるのだ。竹の春というのは秋の季語。)

この三句を出して初めての句会に参加。みなさんの俳句21句がすべてプリントアウトしてあって、各自の好みの俳句など出し合い、楽しい句会になった(省略)。リーダーは飯田竜太さんの弟子という先生につながっておられるそうだが、その弟子はこの年になって初めて俳句を作ったというのだから申し訳ない。次の季題は晩秋、初冬。よくものを見て暮らさねば・・・。

(これは9月中旬に書いたもので、季節が少しずれてしまいました。)

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尾瀬ヶ原トレッキング(Kamichan)

2008・10・16Hiuti_2

   花はすべて終わり、エゾリンドウの残りがわずかばかり、菊の種類らしい種やその他たくさんの種が残っていましたが、9月26日に初冠雪がみられたという尾瀬ヶ原は、もういつ雪が積もってもおかしくない寒さでした。池塘には可愛いオゼコウホネの葉が残り、きらきらと水面を輝かせていました。周りの山は小さな丸い形の紅葉が一斉に花開いたようで、実に見事でした。原一面はアシやススキが黄金色になびいていました。
 久しぶりに尾瀬ケ原を満喫した秋の一日でした。

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紅葉の尾瀬(Kamichan)

2008・10・14

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前期が終わり、たった3日間の休みの後に後期が始まり、あまりピンときませんがとりあえず気持の切り替えのために尾瀬へ行ってきました。学生の頃から何回も一人で歩き、結婚して家族や母と一緒に歩いた尾瀬ですが、紅葉の秋は初めてでした。

 新宿からの夜行バスに乗り、朝5時についた鳩待峠、真っ暗で気温5度。あわてて重ね着をし、寒さで身を縮めながら、山ノ鼻へ向かって歩き出しました。空は白々と明け始めたのですが、木道は濡れていて、霜状態。すべることこの上なく危険でキャーキャー言いながらの尾瀬ヶ原への道でした。中には、途中捻挫をしてしまったり、転んでけがをしている人もいました。私たちも気をつけなくては・・・と慎重に進みました。Yamanohana_3
Kazumi

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ペンタス

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 ま、植えてみましょうといつものように、赤玉土と腐葉土をまぜて一つは大きめの鉢にあと二つは花壇に植えておいた。

数日たっても、枯れない!それどころか、一週間ほどしたら、どんどん蕾がつきはじめ、次々と新しい花が咲き続けた。そしてあれから2ヶ月たった今もまだまだ花を咲かせているPenntasu_2

 へえ・・すごく強い花なんだ。まじまじと花を見ると、星のようなきれいなぱっちりとした花だ。花びらはたいてい5枚だけれど、6枚のもたまにある。ひとまとまりに咲くので、「かんざし」のようにも見える。ネットでこの花のことを調べてみた。

     ペンタスは初夏から霜の降りる季節まで長い間、咲きほこってくれる花。

     手間のかからない、病害にかかりにくい花。

     肥料に無頓着で、簡単に栽培できる花。

 まあ、なんて有り難い花なんだろう。おまけに花言葉がすばらしい。「実現する希望」というのだそうだ。

 ギリシャ語の5という言葉が語源で、明治の中ごろには、すでに日本に入っていた花なのだそうだが、今まで知らなくてごめんなさい。来年はたくさん植えることにしよう。

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枝元なほみさんの講演

2008・10・8

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昨日、友人の勤める大学での講演会に誘っていただいた。その大学では、「循環型の社会の実現」を基本理念にして環境の調和に取り組んでおられ、年2回ほど、関連する講師を招いて講演会が開かれている。

今回は、テレビや雑誌でおなじみの料理研究家枝元なほみさんのお話だった。彼女は、大学卒業後、劇団で舞台女優として活躍しながら、無国籍レストランで働き、料理への関心を深めたそうだ。食に関する仕事を専門にするようになって、いい食材を手に入れるためには、それを生産する人々を消費者が支えなければならないと考えるようになり、生産の現場を見て歩くようになったとか。

自給率のきわめて低い日本の食糧事情を考えるとき、一番強く感じることは、日本では、食料を生産する農業という仕事が尊敬されず、プライドの持ちにくい仕事であるということ。なんでも、お金に換算し、儲かるか否かで動いている社会の中で、人々の生きる上で一番大切な「食」を支えているというプライドが持てるような地位を農業に与えてほしいと願っている。

彼女は、農家を訪ねる中で、自然薯の葉の付け根にできる球芽「ムカゴ」が捨てられているのをもったいないと感じ、このいい食べ物に注目し、人々に食べてほしいと「ムカゴチーム」を結成して呼びかけている。収穫のお手伝いをしてくれる人々を募集し、ムカゴのおいしい食べ方レシピを開発し、一大ブームを起こしたいと願って活動しているのだ。講演会場で、ムカゴをごちそうになったが、なかなか美味だった。

 農家の収入源の一翼をになえるといいと思って始めた仕事だそうだが、断られる方(収穫に手間がかかる、時期も他の作物の収穫と同時期)も多く、北へ南への交通費もかかって活動はたいへんだそうだが、応援してくれる方も出てきて、がんばっているそうだ。

テレビでときどき見かけ、いい感じの人だなあとは、思っていたが、話を聴き、その通り、好感の持てる方だった。

一番の印象は、彼女は自分で、自分のやりたいことを見つけ、それに向かって着実に努力と情熱を傾けて生きておられる方だということだった。料理学校にも行かず、試行錯誤で失敗に学びながら、ねばり強く考え、レシピだけでなく、食の背景までも視野に入れて行動を起こしていく・・・そのバイタリティー。経歴欄には、1955年生まれと書いてあったが、少女のような若々しい印象だった。

 さて、このムカゴ、小学生のころ、川べりの土手にたくさんなっていた。ポケットいっぱいにとって、うちへ持って帰り、甘辛く煮てもらって食べた記憶がある。でも、これが自然薯の球芽だということは、つい最近になって知った。試食した二つぶのムカゴに懐かしい昔が蘇えった。

枝元さんの

◆「チームむかご」のブログ→ http://mukago.jp

Mukago

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一期一会の実感

2008・10・3

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「一期一会」茶会の心得から生まれたというこの言葉の辞書的意味は昔から知っていた。そして折々に、この言葉の意味を理解しようと考えたこともあった。しかし、この言葉の意味が実感できるようになってきたのは、つい最近のことである。

春夏秋冬、めぐり来る季節の変化を味わいながら、いつも同じコースを散歩する。今年の秋も林の蔭で彼岸花が咲いている。でも、あれはいつか見た彼岸花ではないことが、なんだか物足りない。数年前、あざやかな赤とうすいクリーム色のような白い花弁が木陰に射し込む光に透けて、幻想の世界に飛び込んだような不思議な感覚に襲われたあのときの彼岸花はもう、二度とは見られないのだ。

緑道にあふれるように咲いていた雪柳も、今年の春はもう姿が変わり、いつかのときめきは感じられなかった。

桜は毎年、たくさんの花々を咲かせてくれる。来年もきっと・・・。でも、あの枝から舞い落ちる花びらに埋もれてしまいそうで、桜を生き物のように感じて心震えたあの瞬間はもう二度とやってこないだろう。

植物との出会いにさえ、一期一会は厳然としてある。Higansiro

人との出会いはなおさらだ。数々の懐かしい場面が頭をかけめぐる。家族の昔はもちろん、たくさんの友との出会いの場面・・・。もう二度と出会えない人もたくさんいる。またたとえ、出会えたとしても、お互いの姿も心も、もう「そのとき」と同じではない。意気投合した「あの瞬間」には、戻れない。

歩きながら「方丈記」の冒頭の文章が頭をよぎる。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし・・・・・」

しかし、私とともに流れ、ひととき結んだ「泡沫(うたかた)」のきらめきは、確かに記憶に残っている。これからもそのひとときの出会いを大切に意識して生きること・・・「一期一会」私なりの解釈だけれど。

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