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2008年11月

代弁人

Yousyu 2008・11・29

 病院に何度か入院している夫は個室より大部屋がいいという。よほどの重症ならしかたないけれど、寂しいのだそうだ。私も3年前、目の手術で感染症にかかり個室隔離となって2週間以上をそこで過ごしたが、看護士さんが時間通り訪問してくれるほか、し・・・んとした時間が過ぎてゆくだけで、聴きたいCDもたくさん持っていったのに、なんとなく、聴く気になれなかった。少しよくなってからは、窓から見える景色を片目でスケッチしたりして時間を過ごしたが、確かに退屈だった。

 今、夫の病室は6人部屋だ。外科病棟なので、老若入り混じり、向かいの人は糖尿病で左足を膝から切断した30代男性、バイクに乗りたいという夢が実現しようとしたときに、病が発覚したのだそうだ。斜め向かいは椎間板ヘルニア、これも若い男性だ。膝の手術をしたシニアもいる。みんな検査中は会話も弾むが、手術日、その翌日に病室に戻ってきたときは、カーテンを引いてうん、うんうなっている。聞いていても苦しくなり、気の毒な状態だ。とても痛みがひどいときは痛み止めの座薬を入れてもらったり、注射をしてもらったりするのだが、それでもとても痛いそうだ。しかし、大人はだまって痛みをこらえるしかない。

 そんな部屋に10歳くらいの少年が入ってきた。彼はドッジボールをしていて、友人とはげしくぶつかり、肘を複雑骨折して、手術を受けたのだ。その夜は病室で過ごすことになった。少年はあまりの痛みに声をあげて泣き叫んでいたそうだ。

「痛いよう!!!麻酔なんてちっとも効かないじゃないかあ!!!麻酔で痛くなくなるなんて、うそじゃないかあ・・。ああ、もう我慢できない~~痛いよう!!!」

 夜中近くまで泣いていたので、医師がきて筋肉注射をし、やっと眠りについたそうだ。でも、この少年は看護士さんが訪ねてきて処置をしてもらうたびに、「ありがとうございます!」とお礼を言っていたそうだ。

 少年は、翌日退院して行ったけれど、病室の大人たちはそれがちょっと寂しかったようだ。自分の言いたい言葉をかわりに声高く言ってくれた少年・・・・。

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桂・・・かつらの紅葉

200811.24

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桂・・・この名前は昔から馴染みがあった。高校生のとき、「修善寺物語」という劇を見て、そこに登場する女性が「かつら」と「かえで」だったこと、そして何より桂離宮、桂川と京都には、桂という地名があったからだ。しかし、桂がどんな木なのか・・・注意して見るようになったのは、現在の場所に住むようになってからだ。

このあたりは、住宅地の外周道路は桜並木、内周道路は桂並木になっている。桂は春、いちはやく若草色の小さな葉っぱをつけ、みるみる爽やかな緑になり、そして夏の終わりごろから黄葉し始める、ちょっと急ぎ足の木だ。だから紅葉の美しい季節には、もうあらかた葉っぱが落ちてしまう。しかし、そのかわいいハート型の葉っぱは見事なグラデーションの紅葉を見せてくれる。なんとも言えないやさしい色合いで、もみじの鮮やかさとは、また違った味わいがあるのだ。Nakagawa_107

桂は日本特産の木で、万葉集にも詠まれている。材は緻密で、工作しやすく、狂いも少ないので、建築用材、家具、楽器、碁盤などに使用される重要な木なのだそうだ。

また、この木は新芽を吹く頃、とてもいい匂いがするのだとか。

今は・・・青い空を背に残り少なくなった葉っぱがそよいでいる。誰が最後のひと葉になるのか・・・・。

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病院で聴いたチェロ

2008・11・19

 長年、夫の悩みの種であった腰痛がひどくなり、いよいよ手術を受けることになった。

 手術までいろいろな検査があり、今は手術日を待つ毎日。私も連日病院通いだ。

 入院は初めてではないので、馴れたものなのだが、いつも感じることは、「人間、生きていくのはたいへんだなあ・・」ということ、いや、生老病死というのだから、それは運命なのだけれど、年老いてからの年月が長すぎる。健康で生きられたらいいけれど、大半の人々は、病を抱えながら生きなくてはいけないのだ。でも、病院に来る人々は少しでも健康を取り戻したいと懸命に病と闘っている。またそんな人々を助けようと多くの医師、看護士、療養士さんたちががんばっている。

 先週、病院にいるときに、「ホールで今からコンサートを開くのでおいでください。」とアナウンスが入った。夫が「行ってこい」と言ってくれたので、聴きにでかけた。東京藝術大学の学生さんのチェロとピアノの演奏だった。ホールには、車椅子の人、点滴の器具をつけた人、包帯をぐるぐるまきにした人、抱えられてやっと歩けるという人なども来ておられた。健康な私がいては、申し訳ない気がしたほどだ。みんな闘病生活の中で、音楽が聴けるのを楽しみに集まって来られたという顔ぶれだった。

 男性のチェリストの卵と女性のピアニストの卵・・・でも演奏はとてもすばらしかった。曲目もバラエティーに富んでいて、なじみのある曲が多く、心地よいひとときだった。ヘンデルの「ラルゴ」やフォーレの「夢のあとに」など、私の好きな曲も聴けた。またいつか「詩人の恋」のときに読んだように、シューマンの「幻想小曲集」は、ピアノが単なる伴奏でなく、ピアノの曲として独立しているもののように、ピアノが歌っていた。メンデルスゾーンの「チェロソナタ第一楽章」は初めて聴いた曲だったけれど、私はかぶりつきで前の方にすわったので、チェロの響きがびんびん身体におし寄せてくる迫力があった。

 休憩なしで10曲、チェロの男性は汗びっしょりの熱演だ。ボランティアで来てくださったそうだけれど、ここに集まった人々の心をなごませ、勇気づける力は十分にあったと感じた。

 私の住んでいる町では将来性のある若いチェリストを発掘するために開かれる「ガスパール・カサド国際チェロコンクールが開かれている。カサド氏の妻だったピアニスト原智恵子さんの遺志を受け継いだ市民勇士の人々によって実現したものだそうだ。

 チェロ・・・さわったことのない楽器だけれど、その音は魅力的だ。人間の運命の悲しさもまたそのはかない世界に生きる喜びもこの楽器は伝えることができるような気がする。

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低音部の魅力

2008・11・14

 

仕事をやめてから弾き始めたピアノ、最近やっと先生について習い始めた。今まで習うのを躊躇していたのは、自分の弾きたい曲を言ったら、「あら、基礎ができていないのに、そんなの、百年早いわ。」とか言われちゃうに決まっている・・・と思い込んでいたからだ。

だから自分勝手に、好きな曲を必死で暗譜して一生懸命弾いていた。You Tubeでその曲を演奏している人のを聴いたり、CDを買ってきて聴いたりしながら、練習する。始めはいくつも、自分のできていない部分が見つかり、上達していくのがわかるのだが、ある程度までいくと、もうどこをどう直していいかわからなくなる。でも、なんだか満足できない演奏なのだ。

 ところが新しく知り合った方から、熟年組には、それなりに教えてくださる先生を紹介していただき、通い始めた。その先生のすすめで、ショパンのワルツ69―2を練習することになった。前に少し始めたけれど、途中で挫折した曲。今度は正確に暗譜し、今までの倍以上の時間をかけて練習している。

 先生が初めはゆっくり、正確に・・・というので、メロディー部分と伴奏部分、右手と左手を分けて練習するようにと言われた。今まで、憶えるのは、同時の方が速いといつも同時に弾いていたのだ。

 別々に弾いてみると、伴奏部分の和音の進行がとても美しいのに驚いた。それだけで、曲になっている。そういえば・・・同じくショパンのノクターン9-1や20番遺作も聴いていて、ときどきグンと胸にせまってくる美しい和音の進行の響きがあった。

 う・・・ん、よく考えてつくられているんだなあ・・・と幼稚な感動をしていたら、今日の「ピアノのおけいこ」(これはkazさんに紹介してもらった、ピアノ講師竹内圭子さんのメルマガ)に、こんな文章が載せられていた。

 音楽の要は、ベースかなと思うのです。
 (ポピュラー音楽では、ドラムも!)
 あの低音部分が、音楽を下からしっかりと支えているイメージです。
 練習をしているときは、指が回らない部分や、メロディー部分に
 気持ちが傾いていると思うのですが、
 客観的に聴き手になると、意外とベースラインが目立つことに気がつきます。
 聴いていないようで(聴こえていないようで)実は、低音部分は
 大切な役割を担っています。
 ピアノの左手は、ベースラインだけではなく

 中間部分の和音だったり、リズムを担当するので
 たっぷり練習して、ちょうどいいくらい。
 好きな演奏や、音楽を聴くときに
 低音部分を意識してみてください。
 なにか、新しい発見があれば
 演奏に活かしてほしいです。

 やっぱり、低音部は大切なんだ・・・ととても納得した。つい、両手で同時に弾きたくなってしまうけれど、それぞれがきちんと弾けているか、まずは、確かめなくっちゃとがんばっている。

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リサイクル図書争奪戦?

2008・11・10

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以前書いた地域文庫は、順調に活動している。月2回の貸出日には、そんなに多くはないが、いろんな年齢層の人が来てくれる。本を寄贈してくれる人もぼちぼちで、蔵書もかなり増えてきた。毎月出される「文庫だより」は新刊紹介、投稿による「私の一冊」映画や音楽の鑑賞コメントなど、充実している。

先日、市の図書館が本をくれるという情報が入り、4人で、大きなボストンバッグを持って中央図書館に出かけた。10時からということだったが、早く行こうと9時に出発、9時15分には、到着した。しかし、我々よりも早く来て並んでいる人が20人くらいいた。列はみるみる長くなり、図書館の入り口から歩道の方に人があふれ、すぐに100人くらいになった。歩道に人が多くてはという配慮から9時半すぎに開館し、リサイクル図書の並べてある地下の大部屋に向かう階段まで入れてくれた。

配られたプリントには、本がどのように並べられているかの配置図や、雑誌の種類などが記されていた。私たちは

「あなたは、小説、随筆と海外文学ね。あなたは、児童図書、あなたは、歴史、科学のところ、そして私は家事、育児を先にみましょう。」

と手際のいいAさんの案で決めて入室を待った。さすが図書館、10時きっかりまで入れてくれず、時報とともに「お待たせしました~先に50番まで入室していただきます。」と誘導してくれた。手に手に大きな袋をさげた人たち(我々も!)が駆け込むように部屋に入った。

私が一番に行ったのは、雑誌、「俳句」や「俳壇」が置かれているコーナー。今、みんなで俳句の勉強をはじめようとしているところなので、いいかなあ・・・と思ったのだ。

雑誌はきれいに1月号から12月号まで揃えておいてあった。私が、「これ、みんな、もらっちゃ悪いなあ・・・でも、何月号がいいのか・・・」と迷っていると、あとからきた人が「私、これ、ねらっていたのよ!」と「俳句」「俳壇」の24冊を抱え込んだ。すると

その後ろから、男性が「わたしも、これ、ほしいんですよ。ひとりで両方もらうなんて、一組、譲ってくださいよ。」と言った。「じゃあ、私は俳句、あなたは俳壇、いいでしょ」とさっさと袋に入れてしまった。男性も俳壇をごっそり。とほほ・・・あとに残ったのは「短歌」でもなあ・・・。結局何もとれず、今度は文学のコーナーに行くと、そこには、「俳句入門」「四季の俳句」「旅と俳句」「芭蕉の恋句」など俳句に関連する単行本が結構あった。私は今度はいきおいよく、それらをボストンバッグに入れて行った。小説や、随筆、また仏像や空海、最澄の本など読みたかった本もけっこうあって、ボストンバッグはみるみるいっぱいになった。もう持ち歩けないくらい重い。

みんなそれぞれ自分が読みたいと思った本を中心に選んだけれど、バッグ4つは満杯になり、駐車場まで、よたよたしながら運んでいった。

家の本箱は2回にわたって整理し、思い切って本を捨てたのに、展示場に入ったら読みたい本がいっぱいあった。またしばらく楽しめそうだ。

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小江戸川越 その2 (Kamichan)

2008・11・7

Matinami

 信綱は川越街道の整備、新河岸川舟運、新田開発などの事業を行い、江戸との結びつきを深め、江戸文化を随所にとりいれたそうです。松平斉典の時代、川越藩は17万石となり「小江戸」と呼ばれる賑わいを見せたとか。そして、明治になっても城下町の伝統と産業を受け継ぎ、穀物流通の中継地、織物の産地として賑わいました。

 しかし明治26年に町の三分の一を失う大火に見舞われ、川越商人は耐火性を備えた蔵造りに着目しました。江戸の様式を取り入れた土蔵造りの店を鏡のように光る黒壁で仕上げ、今日の町並みを築いたということです。(観光案内による)
 帰って落ち着いて案内書を読んでみると、なるほど川越の歴史がよくわかりました。
 蔵造りの商店街は、衣服屋さん、お菓子屋さん、刃物屋さん、瀬戸物屋さん等が所狭しと並び、あちこちでおいしいお菓子をほおばりながら歩く人でいっぱいでした。小さなお寺が点在し、横町の裏まで見落とさないように回っていたら、喜多院へ着いたのが4時半過ぎで、辺りは真っ暗になり、残念ながら家光公誕生の間や、春日局の化粧の間は参観できませんでした。ゆっくり歩くと何日もかかるそうで、次回また来ようと思いました。Mameya

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小江戸川越 (Kamichan)

2008・11・4

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池袋から東武東上線急行で32分。
こんなに近いと思いませんでした。なぜ「小江戸」と呼ばれるのか、なぜ最近こんなにも人気が出て込み合っているのか、なぜたくさんのおいしいものが並んでいるのか、確かめたくて行ってきました。
 まず歴史的な成り立ちですが、武蔵野台地の東北端に位置し、川に囲まれたこの土地は居住に適し、稲作が伝わった弥生時代には大きな村が形成されました。中世には関東管領の上杉氏がこの一帯を治め、川越城を築き、その後城は北条氏に奪われ、城下には町が形成されました。江戸を居城とした徳川家康は、関ヶ原の戦いで勝利を収め、江戸幕府を開きましたが、川越はこの時江戸の北の守りとなり、物資の供給地として重要視され、有力な大名が配置されたそうです。川越の城下町は松平信綱によって整えられ、その町割りは今も形を残しています。(つづく)

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ムカゴ探しの散歩

2008・11・1

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先日、枝元さんの講演で懐かしくなったムカゴ・・・このあたりではあんまり見ないなあと思っていたが、USAKOさんから、「あれは、山や林、自然の中にけっこう生えているのよ。」と聞いて、もう一度見てみることにした。

 発見第一号は、つつじの植え込みの上をはいまわっていた。半分枯れて黄色くなっている葉っぱの裏にムカゴがついていた!わあ、こんなところにあったのかあ。今度は雑木林の方へ行ってみた。ヤマノイモによく似たつる植物がたくさんあった。近づいてみると

「あ、これ、ヘクソカズラ!」前にかわいそうな名前だなあと印象に残っていたあの白の中心部が紅色になっている花が咲いていた。この葉っぱや茎は悪臭がするので、そんな名前がついたのだとか・・・。

「これは、ヤマノイモかな?」と近づいていくと、形はヤマノイモにとてもよく似ているのにちょっと葉が大きく、ムカゴは見られない。(あとで調べたらこれはどうやら「オニドコロ」という植物らしい。)Nakagawa_064_2

里道に出て、どんどん歩いて行くと、空き地のフェンスにヤマノイモのつるがまきついていた。ムカゴも少しなっている。確かにヤマノイモ!でも近くには勢いのいい葛が茂り、ヤマノイモのつるはほんの少ししか見られなかった。

1時間ばかり歩いて一番大きなムカゴがなっていたのは、・・・クロネコヤマトの集配所のフェンスの中だった。もう枯れかかったつるに今までみたこともないほど大きなムカゴがなっていた。でも手が届かない。残念・・・。

今まで、あまり注意して見ていなかったヤマノイモの葉っぱやそのつき方(対生、互生)などがだんだんわかってきた。似たような葉っぱもよく見ると微妙に形が違う。葉の厚さも葉脈もやっぱり微妙に違うのだ。

収穫は、5,60粒、これは味噌汁に入れておいしくいただいた。ふふ、貴重品。

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