「障害児・者の心理 その2」(2/4) (kaz)
2009・1・15
写真 1月1日午前 (雪に小動物の足跡が・・・きっと兎か狸)
ここ数年、時代の流れと共に障害者観が変化してきているようです。世界共
通認識の基盤となるWHO(世界保健機構)の定義では、1980年の国際障害分
類(ICIDH)と2001年の国際生活機能分類(ICF)では、次のように「障害」の
捉え方が変わってきています。
1980年の国際障害分類(ICIDH)では、どちらかというと障害を否定的に捉
えていました。「障害は個人の特質であり、三層の構造において分析的に
把握される。まず、ある個人において、(1)生物学的レベルの機能障害があ
る。それによって(2)個人的レベルの能力障害を生じ、ある活動を正常な方
法・範囲で行うことの能力の制限や欠如により、機能障害や能力障害が生
まれる。しかるに(3)社会的レベルとしての社会的不利がある。」
しかし、ICIDHを修正し、障害を生活的基準に基づく定義に見方を変えてい
る2001年 WHO国際生活機能分類(ICF)では、障害を中立的・肯定的な表現
に移行させています。「機能障害が障害となるかならないかは第三者がその
状況を見て客観的に決めるのではなく、本人の受け止め方と環境の二者から
相対的に決められる性質のものである。」
ICFの概念は個人としての人間を分類単位としておらず、障害や疾病の状態
についての共通理解をもつことができるよう、障害者に関する様々な調査や
統計について比較検討する標準的な枠組みを提供しています。
ICFの標準的な枠組みとは、まず情報を2つの部門に整理しています。第1
部は「生活機能と障害」、第2部は「背景因子」です。また、「背景因子」
を「環境因子」と「個人因子」に分けて各因子間の相互の関連性を重視して
います。これは、生活の中で人間が機能を果たす際に問題となる可能性があ
る障害について個人の因子に帰するだけではなく、社会的環境との関連性に
まで広げて考えようとするものです
ICFがうたっている基本概念は「機能障害があっても、環境因子と個人因子
を改善することにより、活動と参加の質を高めることができる」という、当
事者の活動と参加を重視したものなのです。
私はICIDH からICFの定義の変化を次ぎのように捉えました。「見えないこ
とは不幸じゃない」のご一家の例のように、「視覚障害があるということは
こういう制限があり、このように社会的に不利です」と一律的にいう定義か
ら、「個人の捉え方と、環境の関連で生活上このような可能性が生まれま
す」と。
従来、「障害」および「心身障害児・者」はいろいろな観点から定義されて
いたようです。代表的な観点には統計的基準(統計学が定義のよりどころ)
と生活的基準(発達や生活上の支障の有無が定義のよりどころ)がありま
す。
統計的基準による定義
「(心身障害児とは)知的・身体的・社会的面で平均値にある普通児・者か
らはずれていて、その能力を最大限に発達させるためには、学校での教育を
いろいろ変えたり、あるいは特別の教育を必要とするような範囲にある人た
ち。」 カーク(Kirk,S.)
生活的基準による定義
「(障害とは)疾患によっておこった生活上の困難、不自由、不利益」(上
田敏)
「『障害者』とは、身体障害、知的障害又は精神障害があるため長期にわた
り日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。」(障害者基本法)
「障害」についていろいろなことを知り、私の障害観は次のようなものに
なりました。
「統計的基準のもととなる正規分布は自然の法則とも言える人知を超えた人
類の宿命として受け止めざるを得ない神秘的な現実である。人間は身体的に
も、小中大とあり、たとえ同じ親から生まれた兄弟姉妹にもそれぞれ個性が
ある。
正規分布は命のあるものに、神様が課している自然の法則のようなもので、
人間も自然の一部であることを考えれば、正規分布の真ん中にいる人は両側
に位置する人たちとは一つのつながりである。
障害を持って生まれるかどうかは偶然の所産という性格のものであることか
らも、その生活上の困難、不自由、不利益を個人のみに帰することは大変理
不尽なことであり、社会全体で支えなければいけない。」
障害者は社会全体で支えるべき存在であるという認識を持つ人が多くなれ
ば、障害者を受け入れる環境因子に変化が生じ、結果として障害者の意識や
行動も環境との相互作用により変化していくのではないでしょうか。
最近は、「障害」の「害」は望ましくないとされ「障がい」という表記にし
ている文章を良くみかけるようになりました。これも、障害観の変化の一つ
の現われなのかも知れませんね。
写真 2008年10月12日午前 (同じ場所で撮影)
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コメント
本当にいろいろなことを考えさせられますね。特に次の部分は実感として同感です。
>障害を持って生まれるかどうかは偶然の所産という性格のも>のであることからも、その生活上の困難、不自由、不利益を>個人のみに帰することは大変理不尽なことであり、社会全体>で支えなければいけない。」
でも、身近に障害をもつ人がいない場合、そのような理解に達することは、なかなかたいへんです。
京都に住む高校時代の友人に障害をもつ子が産まれたのですが、その姉や弟がその子を助け、またその子も明るく、友人は「この子が生まれたおかげで、私はとても勉強させられ、強くなれたと心底笑顔で話していたのを思い出しました。
投稿: Non | 2009年1月15日 (木) 17時13分
医療の進歩により、昔であれば助からなかった人でも「障がい」を残しながらでも助かる確率が高くなっていますし、高齢化社会では誰でも多かれ少なかれ「障がい者」になる可能性は高いので「障がい」を自分の問題としても捉えておくことは大切なようです。
友人の方が今の心境になられるまで、いろいろな心のプロセスを経られたのでしょうね。
投稿: kaz | 2009年1月15日 (木) 23時06分
障害児については、今やクラス40名と考えると、クラスに一人はいるという現状です。それぞれの親が早く子どもの状態を把握できればできるほど、対処が早くできるようです。しかし子どもの障害というのはなかなか判断がつきにくく、性格的に強く示される傾向でそのうち問題がなくなるものなのか、または、早く特別な機関で訓練を開始したほうがよいのか、など大変難しいものがあるのが現状の特別支援教育です。低学年のうちに、いや幼児のうちに気がついて特別な訓練を始めている子は、非常に社会での対応が早くできます。大勢の児童の中で、特別な支援が必要とされている子が大変増えているのが現状です。昨年度より、東京都では「障害児」という言葉は一切使わないことになりました。「特別支援児」と言います。
Kazさんの講義を下にもっと勉強したいと思います。
投稿: kamichan | 2009年1月17日 (土) 09時55分
私の知り合いの民間保育所の園長先生が、「最近は(軽度発達障害傾向がある)理解が難しい子どもが増えている」とおっしゃっていますが、kamichanも現職の小学校の先生として同じように感じていらっしゃるのですね。もし増えているとしたら、原因は何なのでしょうね?
kamichanの方が現職の先生として知識や経験が豊富かと思いますが、次回のテーマを「軽度発達障害について」とし、私が先生の講義を聞いて、数冊の本を読んで書ける範囲のことを書きたいと思います。
投稿: kaz | 2009年1月17日 (土) 17時06分