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2009年4月

「臨床心理学 その2 心の病の増加と臨床心理士について」(kaz)

2009・4・27

Ue

  

 心の問題や悩みは、時代背景によって変化します。なぜ、現代社会では心を病む人が多くなったのでしょう。現代社会が人の心に与える影響について先生はスクーリングで次のようにおっしゃっていました。「共同体を形成し皆が我慢して暮らしていた時代には人は不満に耐えられていた。」「近代化された社会では、絶対的な神の存在を感じにくくなり人は右往左往しがちになる。」「3次産業が発達した社会では、消費を促進するために人の気持ちをあおるような情報操作がされる。」

テキストには「人間の心の問題は、人間が自意識をもつようになって以来古くからあったのであるが、とりわけ第二次大戦後それまでにないあらたな複雑な問題が出現することになった。」とあります。Sita

「高度なテクノロジーの発達、産業構造の変化、急激な都市化、価値観の多様化、急速な国際化などに伴い、それまでにない新たな複雑な問題が出現することになった。」つまり、よく言われることですが、物質的には豊かになっても心の面では必ずしも豊かになったとは言えず、むしろ逆にストレスが増え、悩みや苦しみが増した面が多くなったのです。「何かを得ることは、何かを失うこと」なのですね。

 このような心の病の増加に対応するため日本では臨床心理士という仕事が今から約20年前に誕生しました。以下はテキストからの抜粋(要約)です。

「このような事態に対し、教育、福祉、精神医学、宗教などによる対応や努力はされているが、それらだけでは現代の心の病の増加には追いつかず、心の問題に専門的に関わる臨床心理士の資格が1988年に設けられたという経緯がある。ただし、日本の場合、臨床心理士の資格は国家資格ではなく財団法人日本臨床心理士視覚認定協会が認定しているものである。欧米諸国ではきちんとした国家資格が作られているのに比べ、この面でわが国はかなり立ち遅れている。」

「臨床心理士は、その人が学んだ知識なり技術とともに、その人自身の心のあり方(人間性)がきわめて重要になる。臨床心理学的実践を行う人はその人間性がもろに影響することになる。このようなことから、臨床心理学を専門的に学ぶことは誰にでもできるというものではなく、一定の資質や適性が要求されることになる。ただ自分が向くかどうかの判断は、自分では分かりにくいので、専門的に学ぼうと思う人は専門家に相談するとよいであろう。」

P1010741sita2

心に関する興味を強く持っている人は洞察力もあると思いますが、その中でも臨床心理士に向く人、向かない人がいるようです。やはり「臨床心理士に向く感性を持ち合わせているかどうか」というのが分かれ道になるのでしょう。また、心を使うことはとても体力がいるので、臨床心理士には心身の頑強さも要求されるのだそうです。

Sita3

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言葉の発達 接続詞 (Non)

2009・4・23

Biora_3   昔、子どもがどんどん言葉を獲得していく様子に関心を持ち、恩師の岡本夏木先生の「子どもとことば」(岩波新書)などを熱心に読んでいた時代があった。しかし、考えている間にもう子どもたちは観察不可の世界に突入してしまい、追跡不可能となってしまった。

孫の言葉の獲得もものすごいスピードで、月に一、二度、遊びにくるたび、思わず笑ってしまうような、感心してしまうような話しっぷりに驚かされたものだ。今でも印象に残っているのは、接続詞が使えるようになったときのことだ。

2歳半くらいだったか・・・

私が今日、どのようにしてここ(孫の家)にきたかを訊いていたようだ。でも、私はその意味がよくわからなくて、とんちんかんな答えをしたらしい。すると彼は、「だから、ばあばはなにできたの?」ともう一度訊き返してきた。だ・か・というところに、力をいれて、(ちゃんと僕の質問の意味を理解してよ。)というニュアンスがこもっていて、思わず笑ってしまった。

4歳くらいだったか・・・

大人が使う、耳慣れない言葉を注意深く聞いているようだ。この頃、親の携帯をいたずらして、私のところによくメールをよこした。朝早く携帯が鳴って誰だろう?と見ると、小さな恋人からだった。「東京、横浜、名古屋、新大阪、神戸・・・と駅の名前がずらっとならべてあって、最後にちなみにぼくはようすけ」と入れてある。「ちなみに」なんて言葉を誰が使っていたのだろう。これにも笑ってしまった。

先日・・・

入学して元気に学校へ行っているかと、電話をした。「お友達できた?」「もう給食がはじまったの?」「今日のメニューはなんだったの?」と次々質問をした。一段落して彼が訊き返してきた。「ところで、ばあばは毎日、何をしているの?」・・・「ところで」にはまいったなあ。あわてて答えを探しながら、またまた笑ってしまった。

接続詞というのは、物事と物事の関係を掴んでいないと正しく使えない。言葉を覚え始めた2歳すぎからもう、ちゃんとそんな関係認識が把握できるのかと幼児の言葉の獲得のすごさに改めて感心する。でも岡本先生によると、言葉を獲得するにつれ失うものもあるのだそうだ。言葉で表現できない時代に感じた感情の豊かな世界だ。

「一般的にことばが生活の中心的位置を占めるにしたがって、その代償として、外界や人々を生き生きと感じ取ったり、鮮明なイメージとして保持しつづけたり、自分の身体にひとつの自然を見出したりすることも失われやすい」と先生は書いておられる。これは自然な発達の道筋で避けられないことではあるけれど、小さい頃、まだ空き地が多かったこのあたりでたんぽぽの綿毛を吹きとばし、虫を追いかけ、キャッ、キャッと体中で喜びを表現していたことも忘れないでいてほしいなと思うのは、ちょっと欲張りなのだろうか・・・。

 

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ありがとう、さくら、また来年 (Non)

2009・4・20

Nakagawa_096_2  今年はさくらが長い期間楽しめた。つぼみが出始めてから寒くなり、「お花見には、咲いてね。」と、毎日さくらの木々を見あげていたが、そうはいかない。予定されたお花見の日はちらほら数輪が咲いているだけだった。入学式の頃、やっと一斉に咲き始め、並木道のさくらトンネルの中をバスで通り抜けるときは、ちょっとわくわくした。

毎年その美しい姿で私たちを楽しませてくれるさくら、今年は俳句の会のお題になっていたので、じっくり眺めた。でもなかなかいい句が思い浮かばない。古今東西、さくらはもうあらゆる人々に詠まれ、私などがいくら考えてもそんなにいい句はできないに決まっている。俳句では「花」といえばさくらを指す。そのほか、さくらにまつわる季語はとても多い。

朝桜、夕桜、夜桜、初桜、遅桜、彼岸桜、姥桜、山桜、観桜、花巡り、花の宴、花衣、花篝、桜人、花筵、花曇、花吹雪、花冷、花守、花便り、花疲れ・・・・

いくつか俳人の句を挙げて見ると、

徐ろに 眼を移しつつ 初櫻      虚子

さまざまの 事思ひ出す 櫻かな    芭蕉

うかれける 人や初瀬の 山櫻     芭蕉

花守や 白きかしらを 突あはせ    去来

花の陰 あかの他人は なかりけり   一茶

烈風に 花一房の 落花かな      立子

花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ   久女

花冷の 闇にあらはれ 篝守      素十

「姥櫻」を辞書でひくと①「葉が先立って花を開く櫻の総称。ヒガンザクラ、ウバヒガンなど。②「娘ざかりが過ぎてもなお美しさが残っている年増、女盛りの年増。」などと書いてあって「ふ・・・ん。あんまり悪い意味じゃないんだ。」と思っていたら・・・

ふるさとは かはり果てたり うば櫻   素月

などという句を見つけてしまった。(笑)

ちなみにやっとできた句は

待ちわびた 蕾も今は 花吹雪

今年のさくらは、早く咲いて・・・とひたすら待ち続けたさくらだったのに、いつのまにか、もう花吹雪の世界に入っている。自分の人生のように。(笑)

また来年もさくらと出会えますように・・・・。

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阿修羅像との出会い (Non)

Nakagawa_120_3 2009・4・17

興福寺創建1300年を記念して「阿修羅像」たちが東京にやってきた。半世紀ぶりなのだとか。関西にいる頃、奈良にはよく出かけた。猿沢の池のまわりも散歩し、興福寺の五重塔もお馴染みだったのに、この阿修羅像を拝観したことはなかった。しかし教科書に載っていた写真で、三十三間堂の千手観音像と似て複数の手を持ち、顔が三つもあるなんか不思議な感じがする阿修羅像は印象に強く残っていた。

修羅、修羅場・・・阿修羅の如く・・・なんか阿修羅という言葉から受ける印象はあまりいいイメージではなく、激しい怒りや争いの真っ只中という感じを受ける。阿修羅は仏の守護神の八部衆の中の一つだそうだが、勝つ見込みがない帝釈天との闘いに永遠にいどみつづけているというのだ。でもルーツのペルシャ、そしてインドの神であったときは、サンスクリット語で「ASU」(命)「RA」(与える)で善神だったのだそうだ。それがヒンズー教に取り入れられたときに、悪神に格下げされたというから、阿修羅の運命も気の毒な気がする。

しかし興福寺の阿修羅像は、怒りというより、悲しみやとまどいのような切ない雰囲気をただよわせている。これは、よからぬ思いでかけつけた阿修羅が偶然、釈迦の説法を耳にし、思わずその言葉に引き込まれるように聞き入っている顔なのだそうだ。

東京国立博物館の展示は360度どこからでも見られるようになっていて、硝子ケースもなかった。ちょっと暗い照明が阿修羅の顔を照らし、見る角度によってその表情は微妙に変化し、特に後ろから左の顔の横顔を眺めたときは、こんなに憂いをふくんだ美しい顔は見たことがない!とどきっとしてしまった。それがアコママさんも同じだったのが不思議で思わず二人顔を見合わせた。

普通、阿修羅像は少年の顔と言われているが、小松左京氏や司馬遼太郎氏は少女だとされているらしい。ほっそりとした体つきはそのどちらともとれるが、表情は苦しみ、悲しみを見てしまった困惑の表情でありながら清らかな雰囲気がただよっている。

こんなに美しい像を作った天平の仏師たちはすごい・・・と感心するが、その後1300年もの間、幾多の戦乱、火事などのたび、これらの像は人々によって持ち出され、救われ、21世紀の我々が目にすることができるのだと思うと、それもすごいことだと感動した。

興福寺が創建された折、工事の無事や建物の安泰を祈って埋められた金、銀、真珠、水晶などの工芸品が発掘され、展示されていた。水晶の碁石など、とても美しく磨かれ、この時代にこんな技術が伝わっていたことにも驚いた。

また釈迦の十大弟子の像や、八部衆の像もすばらしかった。どこかで見たような、出会ったような顔・・・表情がリアルでその僧が今考えていることが、なんだかわかるような気さえした。これらの像は脱活乾漆造という方法で作られているそうだ。木組みと彫塑で形を作り、麻布を漆で重ね、木粉などを練り、形を作り上げる。乾いたあとは、目立たない場所を切り開き粘土を取り除いた後、木組みを入れる。気の遠くなるような手間だ。でも1300年後もなお顔の表情はくずれていない。

いろんなことに感心してしまった一日だった。

上野はもう新緑

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東京の花だより (Kamichan)

Prinssakura

先週ホテルニューオータニの中にある美術館の「アンドレ・ボーシャン」展を観てきました。
「素朴派」ボーシャンはフランス中部に庭師の息子として生まれました。40歳を過ぎてから絵を描くようなり、ルソーの後に最も優れた画家として知られるそうです。柔らかく上品な色調が癒しを感じさせてくれ、自然へのあふれんばかりの愛情が魅力です。純粋に花や植物に向き合うことで、自然に癒され、深い愛情に満ちた生活を送ることになったそうです。花束や果物が盛られている後ろには、風景があり、何となくアンバランスに見えますが、今までに見たことのない魅力的な絵でした。

地下鉄赤坂見附の駅を出ると、お堀の上に桜の木が満開でした。ニューオータニと間違えて、赤坂プリンスホテルの入口まで歩くと、桜のトンネルをくぐることができました。
「ああ、やっと満開の桜が見られた。」嬉しくなって私は踊り出したい気分になりました。Prins_2

友達と待ち合わせの時間にはまだ、ちょっと早かったので、今度はニューオータニの庭を歩いてみました。落ち着いた日本庭園でした。花嫁と花婿さんが写真を撮っていました。
「なんていい眺め…」

Newotani

帰りに近くの清水谷公園へ寄ると、ミツマタの花が満開でした。
しだれ桜もまあ、きれい!
東京の花だよりでした。

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「臨床心理学 その1」 (kaz)

2009・4・13

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最近は、心理学といえば臨床心理学を指すような感じを受けるほど、臨床心理学は心理学の主流のような感じを受けますが、臨床心理学は心理学の応用の一分野であり、学問としての歴史がまだ浅いという特徴のある分野です。
臨床心理学が学問としての誕生したわけは、社会背景が大きく影響しています。また、臨床心理学につながるものに心理アセスメント(どのように見立
てていくのか)や心理療法(どのような援助方法があるのか)という分野が
あります。Sita1
「臨床」とはいわゆる「心身の乱れで床に横たわっている」つまり「社会生活が円滑にいっていない」という状態を指します。臨床心理学は、このような人の心の病を援助することと、健康な人はより健康になるように支援することを目指す学問です。英語では、「psychotherapy」と綴られ、「psych」(魂)(への)+「therapy」(配慮)という造語です。

迷いや悩みは、自分自身で解決できる人もいるでしょうし、誰かと話しているうちに解決できる人もいるでしょう。また、人生論などの本を読んで解決する人もいるでしょう。特に、信じられる宗教を持つのは心強いと思いま
す。そのどれでも解決できず社会生活を円滑に送れないという場合、臨床心
理学がさまざまな理論や技法をもって悩みの解決の支援をするということに
なります。Sita2

この科目の、スクーリングの1コマ目に先生がおっしゃったことで印象的だったこと等を中心にまとめてみます。

「宗教と哲学と心理療法の関係について。宗教はいずれも死後の世界があるということを前提としている。しかし、哲学にはそれがない。あの世を受け入れることができる人にとっては、宗教は心理療法的な面がある。それをできない人が、心理療法に頼る。」
「人は不安な時、絶対的なものを求めたがる。原始的な宗教は、空・太陽・月・星・大地などをゆるぎないものとみなし、祈りを捧げ、心の安定を保った。」Sita3
「新興宗教の教祖は自分へ絶対的なものを示してくれる。絶対性のオーラを発生するのが得意な人が教祖となる。理想化したものに頼ると人間はある意味で楽になる。」「宗教はある意味心理療法にも通じたものがあるので心の問題は宗教で解決される部分が多い。」

臨床心理学の代表的な療法である多くのカウンセリングは、心の癒しや成長を目指します。宗教とカウンセリングとは関係が深く、仏教には仏教的カウンセリング、内観療法などがありますし、キリスト教では、牧師がキリスト教的人間観、人生倫理にもとづいて信者に行う牧会カウンセリングなどがあ
ります。日本でかなり普及しているロジャーズが考案した「来談者中心療
法」というカウンセリングの手法がありますが、ロジャーズは神学校で神学
を専攻した人で、キリスト教の思想が大きく影響していると言われていま
す。Sita4

先生が支援する時の注意点としておっしゃったこと、「臨床心理学は深い部分で宗教とつながっているけれど、臨床心理学に基づいて行うときは神秘的にならずカリスマ性をもってはいけません。」

(重度の神経症、心身症、精神障害の場合は、専門医の治療を受けて解決する必要があります。)

次回は、臨床心理学が必要とされている現代の時代背景について考えてみたいと思います。

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ピッカピカの一年生(Non)

2009・4・10

Usiro

孫が小学校に入学した。幼稚園に入ったときも大きくなったなあ・・・と感激したが、あれから2年で背丈は10センチ以上ものび、会話も我々と同じレベルでツーカーという感じだ。

わが孫は 少年となり 入学日

これは夫が詠んだ句だけれど、ランドセルをしょった後姿は、本当にたのもしい。一番驚くのは、沢山友達ができて、もうすっかり社会の中に生きる一員という感じなのだ。

 思えば我々はこの孫の存在にどんなに癒されたことか。老夫婦に会話が少なくなっても孫の話になるととたんに二人とも意気投合し盛り上がって、晴れやかな気持ちになった。孫の一つ一つの言葉や行動が、みんな喜びになった。たくさんの幸せを運んできてくれてありがとう!

 ばばが入学式に参加している人はそう多くはなかったけれど、今日という日は二度とない。

 すっかりお父さんになった息子の入学式のときと重なって、きれいに咲いた桜を見あげ、感慨もひとしお。150人を超えるピッカピカの一年生がとてもまぶしい一日だった。

 みんな元気で楽しい学校生活が送れますように!!!Pouse Usiro2

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二人の営業マン(Non)

Nakagawa_124_3   この辺りの住宅には、セキュリティーの設備が入っている。以前はそういうのはなかったので、最近になって夜やっとセキュリティーをかけて寝るようになったが、それまでは、ほとんど使ったことがなかった。帰ってきて3分以内に「在宅」ボタンを押さないと通報されるし、長嶋さんじゃないけど、あって無きがごとしだった.    半月ほど前、会社から電話がかかってきて「表示板が点滅していますが、何か異状はありませんか?」と訊かれた。特になかったのでそう言ったら「こちらの通報装置が点滅しているので、すぐ見に行きます。」と言われた。しばらくして会社の営業マンが来られ、ボードを点検してくれた。ふだん玄関、洗面所、食堂、居間・・・などの表示で隠れている裏側にボタンがあって、そこを小さなカードを見ながら押しているようだった。

「警報機はどこにありますか?」と訊かれ、最近は寝室においていたので、それを持ってきたら、「そこからの電波が届いていないようです。」という。「え?じゃあ、泥棒に入られて、これを押しても通報できないってことですか?」「そうです。とりあえず、点滅しないように、しておきますが、もう、古くなってきたから取り替えなくてはならないかも知れません。12000円くらいします。」「はあ・・・」心の中では毎月3150円払っているのになあ、自己負担なの・・・と思ったが、とりあえずなおしてくれたというので、「は、ご苦労様でした。」となり、その営業マンは帰っていった。

でも、なんだか変な気持ち。壊れかけているのだ、この機械、いざというときには、役に立たないかも。どうしたらいいんだろう。

それから1週間ほどして、また会社から電話がかかってきて点滅しているので、見に行くと連絡があった。今度きた営業マンは前と違う人だった。私は1週間ほど前にも来てもらった・・・と言おうとしたのだけれど、いや、この人はどこが具合が悪いというか、訊いて見ようとそのことを黙っていた。点検をすると、やっぱり警報機からの電波が届いていないと前の人と同じ答えだった。その人も「この機械はもう10年以上たっていますので、取り替えなくてはならないようです。」と言ったので、「毎月管理費を払っているのは、どういうお金なのですか?」と思い切って言ってみた。「それは24時間中、警備をしている費用です。でも、会社に帰って相談してみます。できるだけ費用を押さえられるように。

そのお返事は3日にします。そして4日には、新しい機械と取替えに来ます。その報告書を書きましたので、ごらんください。」

そして3日に連絡がきて、「玄関の左にある機械も具合が悪いようなので、点検修理し、警報機も新しいのと取り替えます。費用はすべてこちらで持ちますので、ご安心ください。」と連絡があり、4日には、修理、取替えをしてくれた。

比べたくないけれど、この二人の営業マンの仕事ぶりが随分違ったので、驚いた。同じ会社、同じ営業所からきた人なのに・・・・と。2枚の名刺を重ねてケースにしまいながら、一枚のほうには◎をつけておいた。(笑)

Nakagawa_132_2

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「ヒトの身体 ‐口腔ケアの大切さ‐」(kaz)

Ue

生命の科学 その5

半年前、右上の奥歯を抜きました。以前、左下の奥に1本インプラントを入
れてみたらとても快適なので「右上にもインプラントを入れて下さい。」
と歯医者さんへお願いしたのですが「上顎は下顎ほど骨がガッシリとして
いなのでインプラントはお勧めできません。あなたの場合、抜けた上の歯
に対応する下の歯が上にせり上がってきているので、ブリッジにして上の
歯をつけたとしても他の歯に負担をかけてまでの効果は期待できないと思
います。」と言われ、一本欠損のままの状態になってしまいました。一本
でも歯が無いととても不自由だし、心にもぽっかり穴が空いたような気持
ちになるものです。

この科目の先生は歯学博士でもあるので、口腔ケアの大切さを熱心に話され
ていました。「全く歯のない人が総義歯をいれても、その咀嚼能率は完全に
歯がそろっているヒトの3割程度にしか回復しない。一本の歯の痛みや欠如
だけでも咀嚼率は、その表面積が歯列伝体に占める割合よりも、著しく低下
するし、またその代償として別な部位で咀嚼を行うため、その運動制御・遂
行のために筋肉や間接に一層の負担がかかり、場合によっては咀嚼筋痛が起
きたり、関節がガクガクなるなどといった状態を呈する顎関節症を惹起す
る。」一本の歯の大切さをしみじみと感じてしまいますね。

そして、口腔は消化管の一部ではありますが、同時に手先と同様に鋭敏な感
覚器でもあるのです。「大脳の運動野には手指と口のまわりの運動と感覚に
関わる神経細胞の数がとても多い。それゆえに、それらの場所では繊細な運
動が行われている。逆に、その部分を動かすことにより多くの神経細胞を刺
激することにもなる。」良く噛んで食べることは脳の刺激にもなるようで
す。

とりわけ平均寿命の延びている現代社会においては、歯の喪失は、口腔機能
の低下ばかりではなく、肺炎やウイルス感染にも関係があることを知ってお
く必要があるようです。「口腔粘膜や唾液中には300種類を超える細菌が存
在する。これらの菌は口腔内ではほとんど病理性を発揮しない。しかし、こ
れが他の臓器に移るとしばしば病理性を示す。弁膜主患者などにおける抜歯
後の亜急性心内膜炎や、歯や歯周から侵入した細菌による歯性上顎洞炎など
はよく知られている。高齢者の肺に誤嚥された口腔内細菌も同様に肺炎を生
じさせることとなる。したがって、進行したむし歯や歯周病でぐらぐらに
なった歯が放置されていたり、残痕状態で周囲に膿が付着している歯が残っ
ている状況はきわめて危険である。また、このような理由から口腔内の衛生
状態を保つことが肺炎を含めた全身性感染症に対して高い予防効果をもたら
す。」「高齢者は、口腔内を不潔にしておくと、異物が入ってきたときに
『せき反射』が起きにくくなる。せきが出なくなると、異物を追い出すこと
ができないなめ、ウイルスに感染しやすくなる。」口腔ケアは、人生の最大
の楽しみである食べることに関わるだけでなく、ウイルス感染にまで影響が
あるようです。

講義には出てきませんでしたが、見逃せないのがよく噛めば顔の筋肉も鍛え
られ顔のシワ予防にもなることです。ある男性が「女性は口の回りから年
取ってくるよね。」と言っていたことを思い出します。口の周りに2・3本シ
ワを描けばもう立派なおばあちゃんですものね。

きょうから、一層心がけてよく噛んで食べ、よく歯を磨きたいと思います。

Sita

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伊豆の海 (Kamichan)

Izunoumi 2009・4・1

束の間の春休みで、長く出かけられず、伊豆高原へ一泊で行ってきました。
春休み前は脇目も振れず、ブログも開けず、老眼鏡をかけながら目をしょぼしょぼさせて仕事してました。

まだ、桜はちらほらと一分か二分程度しか咲いておらずがっかりしました。
東京より遅かったです。
伊豆高原の奥に一碧湖という湖があり、そのほとりにあるホテルに宿泊しました。
女性好みのグリーンをベースとした落ち着いたベッドカバーにカーテン。
そこかしこにアロマポットが置いてあり、よい香りが漂った清潔感あふれるお部屋。
洗面台も小さな花が活けられ、女性好みのする、誠意の行き届いたお部屋でした。

ホテルには「香りの美術館」が併設されており、そこでは20世紀初頭のフランスや
アメリカのブランド香水瓶を中心に、古代より現代に至るまでの500余りの香水が
展示されていました。また体験コーナーでは好きな香りを調合した香水が作れます。

桜は残念でしたが、満天の星空を眺めながら露天ぶろに浸かり、
おいしい海の幸のお食事をいただいて大満足でした。

翌日Museum通りを陶芸やガラス細工のお店やファションブティックなどのぞきながら伊豆海洋公園までぶらぶら歩きました。そしてつり橋を渡り、海に流れ落ちる幻の滝や柱状節理を見ながら、こんなにも美しい海を見たのは久しぶりだと感慨にふけった一泊二日の旅でした。

Tyuujyouseturi Turibasi

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