2009・5・17
「詩人の恋」は、2006年の9月に世田谷の本多劇場で鑑賞し、とても感激した音楽劇だ。それまで加藤健一さんを知らなかったので、まあ、なんてすごい役者さんだろうとびっくりした。(読売演劇大賞ほか数々の演劇賞、紫綬褒章までもらった俳優さんだった!)
書き留めておきたいような台詞がいっぱいあったのだが、時間がたつと忘れてしまい、ああ、あのとき・・あの場面で・・・と印象だけが残り、言葉は消えてしまっていた。でも、その冬、UsakoさんからNHKの芸術劇場で放映されたのを録画したDVDをいただいた。ああ、これできらりと光る数々の言葉を反芻できる。うれし!
昨夜もちょっと時間ができてこの2時間の音楽劇を楽しんだ。
この劇の台本は、アメリカの劇作家、ジョン・マランスの作を小田島恒志氏が訳したもの。
かつては神童と言われ、アメリカで大活躍したピアニストの青年スティーブンが音楽の壁に突き当たり、ピアノが弾けなくなって、伴奏者に転向しようとウィーンにやってくる。頼ってきたシラー教授は私のところに来る前に、マシュカン教授のところで、レッスンを受けるようにと指示する。マシュカン教授は、年老いたボイストレーナー、ピアノも下手くそで、スティーブンは、いらいらする。教授が出した課題はシューマンの連作歌曲「詩人の恋」を全曲歌いこなすことだった。
第1曲「美しい五月に」の練習が始まる。
教授ののろのろした伴奏にいらつくスティーブン「ほら、また伴奏がおそくなった!」
いい返す教授「ピアノソロの間に速度を変えるのは、伴奏者の自由だ。芸術は基本のルールとそこから逸脱するタイミングを覚えることが大切」
歌詞の解釈や呼吸のしかたについてもマシュカン教授はスティーブンの目を覚ますような情熱的な指導をする。それでもスティーブンはぼやきつづける。「歌詞は思いっきりロマンチックなのに、曲はやたらとメランコリックで・・・始まりもも終わりも短調のドミナントだし・・・」「そこがポイントなんだ。これは、若い頃を思い出しているんだ。今はもう失くしてしまった情熱をどこかに見出そうとしているんだ・・・。」
マシュカンに代わってスティーブンが伴奏を弾き始める。教授が語りかける。
「もっとゆっくり・・・そう、誰かが遠い昔を思い出しているように聞こえてくる筈なんだ。そのときの5月を思い出しているように・・。歌が始まってもまだ前奏の悲しみをひきづっている。喜びに満ちた言葉にせつなくメランコリックなメロディがついてくる・・・。
この喜びと悲しみの組み合わせが真に美しい音楽の核となるものだ。これが人生の核でもある。これを両方、手に入れたとき、ベートーベンやモーツァルト、シューマン、ブラームスが生まれる・・・」
いつの間にか二人は声を合わせて歌い、スティーブンは「こんなにピアノを弾いて気持ちよくなったのは初めてだ!」と叫ぶ。
夢中で書き続けると長くなってしまう。(笑)
このあと練習が進んでいくにつれ、マシュカン教授はユダヤ人で収容所で自分だけが生き延びた罪悪感に悩まされ、自殺常習犯であること、スティーブンもプロテスタントと偽っているが、実はユダヤ人で、今回も父親から収容所を見てくるようにと旅に出されたことなどがわかってくる。悲しみや苦しみを抱えていない人生などなかったのだ。
第15曲は「昔のいまわしい歌」
棺を海に沈めよう ハイデルベルグの樽より大きく マインツの橋より長い棺どうしてこんなに大きく重くなければいけないか?!!それは僕の愛と苦しみをすべて納めて葬ってしまったから
「歌のあとにピアノソロが来る。アンダンテ・エスプレシーボのところだ。君が弾け。今聞いた悲しい話から聴衆を解放するのだ。詩人の悲しみを忘れさせるのではなく、詩人がこの苦しみの経験を通して成長し、もっと高いところへ進んでいけるかも知れないという希望を感じさせるように弾く・・・・」
この劇が抱えているテーマは暗く重いものであるけれど、見ている2時間、ずっと笑いを連発してしまう。教授やスティーブンのキャラクターが繰り出すユーモアやくそまじめさの中にあるおかしさ、ペーソス・・・そして何よりシューマンの歌曲の美しさに心奪われる。加藤さんも畠中さんもプロの声楽家に負けない力量だ。2008年にも上演されたようだが、また次回、もう一度、劇場で見てみたいと思っている。
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