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2009年6月

少年と桑の実 (Non)

2009・6・24

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 もう1ヶ月以上前のことだが、買い物の帰りに12年生くらいの男の子3人が公園の林の入り口にある木を激しくゆすり、何かを採ろうとしているところに行き逢った。近づいて見ると木の高いところにグミの実がたくさんなっていた。でも少年たちには、少し高くて届かない。下から木の枝で叩いて落とそうとするが、実は簡単に落ちてこない。

私がそばに立って見ていると、叱られると思うのか・・・というあてははずれて、「すみませんが、あの高い枝をひっぱってくれませんか。」と丁寧な言葉で、言われてしまった。

仕方ない・・・私は荷物をそばにおいて石垣にのぼり、一本の枝をぐっとしならせて、少年たちに届くようにしてあげた。彼らは大急ぎでグミの実を枝からもぎりとり、うれしそうに、口に入れた。私が子どもの頃採ったグミの実は真っ赤だったが、これは少し茶色味を帯びていた。「あまい?」と訊くと、「うん、あまい!ありがとうございました!」

石垣にのぼってグミの実を採ってるのを誰かに見られたらいやだなあ・・・と思ったけれど、心は子ども時代に戻ってなんか楽しい気分だった。

あれから、ときどき、道端の木々に実がなっていないかなあ・・・と気をつけて歩くようになった。

今日は、桑の木に実がついているのを見つけた。あの少年たちは採りにこないのかなあ・・・。まだ実は少し固く、食べてもすっぱい。もう少しして赤い実が熟して黒くなってくると、とっても甘いのだ。ジャムにもできる。

昔、公園の片隅に大きな桑の木が一本あった。あれはやはり、今頃の季節だったのだろうか。私より2つくらい年下の男の子が遊び仲間の中にいた。いつもは、小さいので、おとなしく私たちのあとをついてまわり、遊んでいたのだが、あの日、みんなで桑の実をとろうということになったとき、少年はびっくりするような力を発揮したのだ。

私たちが高い枝なので、もうあきらめようとしていたら、はだしになって木にくらいついた。そして決して上手とはいえない、はいつくばったような格好で顔を真っ赤にしながらぐんぐん登り始めた。はじめは、「あぶないよ!」と言っていた私たちも少年が桑の実がいっぱいついている枝に届きそうになると、「がんばれ~」と応援していた。少年が片手を伸ばし、枝を激しくゆすると、熟れた桑の実はぽろぽろと地面に落ちた。ハンカチやポケットに桑の実が山盛りになったときは、みんなキャッキャッと喜んだ。木から降りて来た少年もとても嬉しそうだった。

もう名前も思い出せないけれど、真っ赤になって木にくらいついていた姿はなんだか妙に心に残っている。

今、ここにある桑の実は、あのときの桑の実よりずいぶん小さいような気がするのだけれど・・・。

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「路傍の石」  (Kamichan)

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 2009・6・20

  山本有三記念館へ行ってから、「路傍の石」をまた読みたくなり図書館へ行った。
すると、児童図書の場所には一冊もなく、コンピューターで検索してみるとなんと書庫にあるという。最近の子はもう読まないのだろう。20分もたって係の人が出してきてくれた本は偕成社文庫のと、もう一つかなり古く黄色くなっていた。
もうそんなに古いものなのだと実感した。

 「路傍の石」、道端の石っころ、という題名は何を表しているのか。主人公愛川吾一のことだろうか。この物語は、はじめ「朝日新聞」に連載され、その後雑誌「主婦之友」に書き改められて再び連載された。昭和13年から15年にかけてであった。今からおよそ70年前のことである。しかも物語はそれよりもっと前の明治時代を舞台にしているので、現代の子どもたちには到底理解できない内容が書かれてある。最近の子はこのような本は手に取らないのだろうか。
 はかまをはいて学校に通い、銅貨一枚で焼き芋が買えた時代、小づかいは貯金箱にためるような真面目な吾一は、我慢強く、勉強のできる優秀な子だった。しかし父は裁判にかまけて家を顧みず、母が針仕事で家計を支えるような貧しい家に育ち、中学へ入って勉強したいという望みは絶たれてしまう。自分でためた貯金も父親に盗られてしまい、呉服屋に奉公に出る。

 子どもの頃に読んだだけなので、内容はうろ覚えだったが、たった一場面強烈に印象に残っていたのが、鉄橋のまくら木にぶら下がるところだった。なぜぶら下がることになったのかは、忘れてしまっていた。しかし向こう見ずで、言ったら最後引くことのできない吾一の性格は最近ではなかなか類を見ないものだと、おもしろく読み進めた。
 また、小学校の恩師との別れと再会が劇的に描かれていたのが興味深かった。「吾一という名前はいい名だ。われ一人しかいないという名を誇りに思え」と教えてくれた先生は、再会した時にも「貴様は前途ある人間だ。しっかりやらなくちゃいかん。吾一って名前に対して、恥ずかしくないように生きよ。」と励ました。そして大きく成長していく吾一の姿を思い浮かべながら、この物語は終わる。

 読み終えて、作者は「吾一は世の中のすみっこで生きる『路傍の石』ではあるが、その名の通りただ一人、かけがえのない人間の生き方」を表したかったのだと思った。 
 久々に子どもの頃の懐かしい本を読むのもいいものだった。

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同窓会は「ほたるまつり」(Non)

2009・6・17

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さくらの季節に会ったばかりだけれど、楽しい会は何度あってもいい。今回は「福生のほたるまつりに出かけましょう」という幹事さんの企画で、「ああ、ほたるなんて、前にいつ見たかしら・・・楽しみ!」とわくわくしていた。

 青梅線には友人が住んでいるので、よく乗るけれど、牛浜という駅に降りたのは初めてだった。今夜のほたるまつりは、地域の「ほたる研究会」が育てたゲンジボタルが玉川上水やほたる公園の湧き水がある小川に放されるということで、市の後援もあって、大勢の人々が集まっている。いかやとうもろこしの香ばしいにおい、やきそば、あんずあめ、ゲームなどの屋台が沢山並び、お囃子も賑やかで子どもたちが楽しそうに笑い声を立てていた。

 「ふふ、天神さんを思い出すわね。」とWさん。京都北野天神には、毎月25日になると、たくさんの屋台が参道にぎっしり並び、おこづかいをにぎりしめた私たちは、目をきらきらさせながら、何ども往復したものだ。それは、我々共通の懐かしい思い出。今、ここにこうして集う子どもたちも、いつか、このほたるまつりを懐かしく思い出すのだろう。

 暗くなるまでもう少し・・・我々はお庭の美しい料理屋さんにはいって、しばし、おいしいお酒とお料理、そして何より楽しいおしゃべりで時を過ごした。

 外に出ると、すっかり暗くなって、いよいよほたるとの出会いの時間。ライトを消した暗闇の中、川のほうに石段を下りていく。坂の途中で誰かが「あ!光った!」と叫んでいて、私も目を凝らして暗闇の木陰に集中する。ああ・・・ほんとに青白い光が二つ三つふあっと浮かび上がった。さらに下におりてほたる公園の中に入っていくと、夜目にも透き通った小さな川が流れていて、川岸の草の間にたくさんのほたるが光っていた。我々は、みんな、石段の柵にへばりついて、じっとほたるの飛ぶようすを眺めていた。アコママさんが「ほっ、ほっ、ほたるこい、こっちの水はあまいぞ・・・」と歌うと一匹のほたるが、すうっと私たちの方へ飛んできた。まるで魂のあるもののように・・・。不思議・・・。

 帰り道、玉川上水の橋から眺めると、両岸の草の茂みのあたりに、たくさんの蛍が飛んでいて、とても美しかった。ここからの眺めは100年ほどタイムスリップしたみたいに、情緒があって、なかなかのものだった。

 子どもの頃、金閣寺の方から流れてくる小川が近くにあって、夏には蛍がたくさん飛んでいた。酔っ払った父が帰り道、何匹か捕まえてきて、蚊帳の中に入れてくれた。そんな遠い昔を思い出す楽しいひとときだった。遠いところからかけつけて来てくれたお友達、そして洒落た企画をしてくれた幹事さん、ありがとう!!!

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玉川上水

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珍しいあじさいの花 見つけた!(Kamichan)

2009・6・15

Nonさんのお庭のアジサイも素晴らしいのですが、
今高幡不動尊の境内はアジサイ祭り中で、百種七千五百株の
アジサイが見られます。高幡城址の周りの山は、大きなアジサイと
可憐な山アジサイでいっぱいでした。
風信庵というお茶室で、お抹茶が頂けました。
珍しい種類だけ写真でお届けします。
1、四季の道

2、かしわばあじさい

3, べにあじさい

4, がくあじさい

5, はなび

6, 八重どくだみ

7、ピンクがくあじさい

8、山門

Siki

Kasiwaba Beniajisai

Gaku_3 Hanabi_2 Yaenodokudami

Pinkgakuajisa Sanmon_2

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あじさいの季節 (Non)

2009・6・11

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春の花が少し元気をなくし、雨模様の日が続く中、心をなごませてくれるのは、優しい色合いのあじさいの花。

写真は2年前、この季節にUSAKOさんのお宅を訪ね、八重の花びらと紫の濃淡が美しいあじさいが目にとまり、「わあ、きれいね・・・」というと挿し芽をしてくださり、いただいたものだ。

昨年は花をつけなかったが、今年はたくさんの花をつけてくれた。

「あじさいがもうすぐ咲きそう・・」とメールを入れると、彼女のところでは「もう2週間ほど前から咲いていますよ。」と返事がきた。このあたりは、やっぱり少し気温が低いのかも知れない。それにしても小さな一枝から2年で、こうしてたくさんの花をつけるようになるなんて、なんだか感動してしまう。Nakagawa_160_3

京都府立植物園のHPによると、あじさいは、日本独自の花で万葉集にも、「味狭藍」とか「安治佐為」として出ているそうだ。「紫陽花」という字は漢名をつける必要にせまられたとき、白楽天の詩から引用したもので、花は日本から中国に渡り、やがてヨーロッパにも伝わったものだとか。(シーボルトもたくさん本国に持ち帰っている。)ヨーロッパに伝わったあじさいは、「Hydrangea」として改良され、逆輸入により、「西洋あじさい」は日本に戻ってきたという。

あじさいは、「東洋のバラ」として愛でられたそうだけど、魅惑的なグラデーションのあじさいをじっと眺めていると、なんだか神秘的で高貴な花のように思えてくる。

Usakoajisi_2   

Aka Nakagawa_158 Nakagawa_155

Nakagawa_177 Nakagawa_178

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なにげないものが・・・(その2)

2009・6・8

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もう一つはハイデルベルグでワインを飲み、サービスでにいただいた記念グラス。

ちょうどハイデルベルグの町が誕生して800年というときで、グラスにはあの大きな樽の絵の上に800という数字が書かれている。 

この樽があのシューマンの「詩人の恋」の最後の曲に出てくるのを数年前に知って、「ふふ、ますます記念すべきグラス」となった。あわてものの私がうっかりグラスを割ってしまわないようにと、とっても大切に扱っている。

このグラスもハイデルベルグで見たさまざまな光景を思い出させてくれる。今は廃墟となった古城で、コンサートがあるというので出かけて行った。急な坂道を登っていくと、月光のなかに今は窓だけが暗闇のholeとなって浮かび上がる古城がそそりたっている。かつてこの建物が活躍しているとき、どんな人々がどんな思いでここに暮らしていたのだろうか。幾世代もの人々の悲喜こもごもの人生を眺め続けてきた石の壁は、時間と空間を遠く隔てた我々にも、何かを伝えようとしているように思えた。

坂道を降りてきたところに、本当に大きな樽があって、学生さんたちが、ワインを勧めていた。そしてワインを味わい、このグラスが私のところにやってきたのだ。これを手にするたび、廃墟の古城や、興奮して友と語り合った夜や、次の日の朝早く大急ぎで散歩した哲学の道や・・いろいろなことを思い出す。

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なにげないものだけど・・・(その1) Non

2009・6・4

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 海外旅行に行くと、帰りには、もう重くてどうしようもないくらい、いろいろ買ってしまう。そしてたいていの場合、むこうでは、とても素敵に見えたのに、帰ってきて見てみると、なんということはない・・・というものがほとんどだ。その代表がスウェーデンで買ってきたキャンドルボールだ。「コスタ・ボーダはたいていのデパートにあるし、こんなに重いもの、買って来なくても・・・」と言われてしまった。おまけに鉄製のキャンドル立てもあわーいトキ色のろうそくも1ダース買ってきて笑われた。このろうそくに貼られた小さなシールに「カメヤマ」と書いてあったからだ。でも、石畳の白夜の街のお店にいたときは、すべてがロマンチックに思えたのだ。キャンドルボールに火を点して食事をしたのは、一度だけ。(笑)

またデンマークでは今までアクセサリーにそんなに高いものを買ったことがない私なのに、清水の舞台から飛び降りたというのだろうロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカのブローチを買ってしまった。確かにきれいなのだけれど、重すぎて眺めるだけ、今では箱の中にしまいこんだままだ。

でも、たいして意識もせず、なにげなく買ったものの中にとても楽しませてもらっているものもある。その一つがこの小さな銀のスプーン。ストックホルムにほど近い田舎町セダルテリアの小さなお店にはいったときだ。銀細工が有名らしく、アクセサリーも素敵なデザインのものがたくさんあった。ところが私の目に留まったのは、ずらっと並んでいた銀のスプーンたち。どれもみんな違った模様の細工で、臙脂色のビロード布の上で光っていた。繊細なのや可愛いのやモダンなのや・・・きれいだなあ。でもけっこうなお値段。1本が日本円で5000円くらい。じゃあ、この田舎町の記念に1本だけ。模様の選択をしばし悩んだ結果、私が手にとったたった1本のスプーンがこれだったのだ。

のんびりとした午後のお茶の時間にふと思い出してこのスプーンを取り出してみる。しばらく使わないとすぐ黒くなってしまうのだけれど、歯磨き粉で磨くとあのお店に並んでいたときのように、きれいに光る。

そしてこのスプーンはあの異国の町で見かけた風景や出会った人々を懐かしく思い出す手がかりになってくれる。

セダルテリアで見かけた忘れられない光景がある。朝、ホテルの窓から何気なく外を見ていた。静かな通りを歩いている人はほとんどいない。じっと眺めていると通りを曲がってご夫婦とみられる老人の男女が歩いてきた。ご婦人は足が悪いのか、ゆっくりとした歩き方だ。もう80を超えておられるのかなあ。二人は石畳の歩道をそれこそ牛歩のように横切ろうとしていた。が、そのとき、婦人はバランスを失ってばたりと倒れてしまった。倒れたまま、しばらくは起き上がれない。ご主人はぼうぜんと眺めるだけで、すぐ手を貸そうとしない。そのままかなり長い時間が経って、大丈夫かしら・・・と心配になる頃、婦人は痛そうに立ち上がった。今度はご主人が婦人の腕をとり、二人は前より一層ゆっくりと通りを歩いてゆかれた。

今、日本にも高齢化社会がやってきたけれど、あの国では一足早くやってきていたのだ。文明は進み、美しく整備された街だけど、そこにはちょっと寂しい雰囲気も漂っていた。

でも、次の日、その通りにはたくさんの高校生たちが、にぎやかに闊歩していた。今日が卒業式だったというのだ。私たちもその元気な声を聴きながら、石畳の坂道をくだって歩き、このスプーンが置かれていた店にたどり着いた。

紅茶をいただきながら、懐かしい思い出にふける。それもこのスプーンのおかげ。Nakagawa_132_2

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