2009年11月
晩秋の風景 その2 (kaz)
秋も深まってきました。母と2人で3本の柿の木に成った柿の皮を必死の思
いでむき、干したところです。もう一箇所にも干しているのですが、数に
すると合わせて2千個近くあると思います。これも、母の「実ったものは無
駄にしない」精神の賜物です。母は沢山の干し柿を吊るすと「とても豊か
な気持になる」と言います。ご近所でもこれだけの数を干している家は無
く、この光景を見る年配の人達は「好ましいごど」と言ってくれます。
今は飽食の時代ですが、食料の乏しい時代を過ごした世代の人達にとっ
て、食料が豊富にある光景は「豊かさ」につながる好ましいことと感じる
ようです。
2枚目 蔵のそばの蜂谷柿。これも1個残して全部とり干し柿にしました。
3枚目 クリスマスホーリーの赤い実。寒くなってくると温かさを感じる赤
い物がとても目に嬉しいもの。
4枚目 これも目に嬉しい真っ赤なゼラニウム。
5枚目 この紫陽花も晩秋まで美しく変化してくれました。
晩秋の風景 その1(kaz)
2009・11・21
稲の取り入れもすっかり終わり、すでに新米を食べられる季節になりまし
た。今週末には、新米で作った地酒(一ノ蔵)の「しぼりたて」も味わえ
ます。
お酒の味は、一.水、二.米 三.杜氏と言われるように、その年のお米
の出来栄えが大きく影響します。毎年、「しぼりたて」を味わうのが私達
夫婦にとって楽しみの一つ。「今年はどんな味かな~。」
2枚目 純白だった紫陽花も素敵に色を変えながら、まだ味わいを残してい
ます。
3枚目 あの刈られなかったヨウシュヤマゴボウも葡萄のような実をつけ
て、あとは朽ちるだけ。
4枚目 今咲いている花はこれだけ。野菊のヨメナ。深い紫が魅力的。
5枚目 秋にもう一度咲く四季桜。10月23日に見学した皇居の宮殿の前の庭
にも咲いていて皆の目を惹きました。
6枚目 ブルーベリーの紅葉も美しいです。
7枚目 妙丹という種類の柿。今から干し柿にします。
8枚目 木々の葉も落ちて。
9枚目 荒れ始めた竹林。強風や、寿命などで倒れた竹を来年の春まで整理
しないといけません。
オペラ「ヘンゼルとグレーテル」 (Non)
2009・11・17
先日、NISSAY OPERA 2009で「ヘンゼルとグレーテル」ブレーメン劇場版を鑑賞することができた。E.フンパーディンクの作曲(1890年ごろ)によるもので、2007年、ドイツブレーメン劇場にて初演、大好評を博した作品らしい。
私の子どもの頃は、童話といえばグリムに代表されるヨーロッパ(イギリスやドイツ、フランスなどだが)のものがほとんどだった。今でも妙に心に残っているのは、「雪の女王」「眠り姫」「不思議な国のアリス」そしてこの「ヘンゼルとグレーテル」だ。どこか不思議な世界に飛び込んで、不安ながら勇気をもって苦境にたちむかっていき、最後は自分の力で幸運をつかむ・・・そんな冒険心をかきたててくれるようなわくわく感がそれらの話にはつまっていた。
「ヘンゼルとグレーテル」だけではないが、民話的な話をもとにしたものは、そのストーリーが少しずつ変化していき、かなり「話が違う!」という結果になっているものが多い。昔「三匹のこぶた」のラストシーンについていろんな話を集めて比較したことがあったけれど、この「ヘンゼルとグレーテル」も父はもう亡くなっているという話、母は継母で子供は捨てられたという話のものもある。10年ほど前になるが「本当は残酷な グリム童話」という本がベストセラーになったことがあった。しかし、グリム童話の初版から第7版までの改訂はすべてグリム兄弟自身によってなされたというから、世間の批評を鑑みて訂正されたようだ。
今回のストーリーは子供たち向けのオペラということで、「神は最後の最後にはよきものを与えられる」というメッセージをこめたHappy版であった。(作曲者の実妹が子供のためのオペラということで台本を書いたようだ。)
音楽は読売日本交響楽団、指揮は下野竜也さん、声楽家たちもすばらしい歌声だった。
グレーテル役の臼木あいさんは東京芸大大学院独唱科を主席で卒業されたとか、ほかの方たちも音大卒で二期会のオペラプロフェショナルコースを修了したような人ばかり、言葉ははっきり聞こえ、おまけに字幕も出るので、とてもしっかり台詞が伝わる。
また舞台美術が印象に残った。第一場の子供たちの家を除くときわめて簡略化された象徴的な舞台装置で衣装も子供たち以外はかなり現実ばなれした世界を感じさせるユニークなものだった。白と黒のみの碁盤もようで魔女の家が表現され、幾層ものその模様が左右に揺れるだけで実際に家がゆれているような感覚になったりする。ちょっと今まで見た事のない工夫された舞台だった。
1、 魔女がとらえた人間をかまどでお菓子にやいてしまうという扉の中に幾人もの赤い人間がうごめいているシーンは、「残酷なグリム童話」を連想させられた。
2、 ヘンゼルとグレーテルは、おなかをすかした貧しい子供たちである。夢の中に出てくるたくさんの奇妙な姿のウエイターがゆっくり運ぶごちそうのシ-ン、いかにも夢の中のごちそう・・・という感じの演出だった。
3、 劇場に入るともう幕はあがっていて、舞台には雪化粧のお菓子の家が一つ置かれている。上からサラサラと粉雪が舞い降りてきて、観客はすぐ童話の幻想世界に引き込まれる。
高校時代、演劇部に所属し、文化祭や養護施設への慰問上演などに熱中していた。あの頃、こんなにすばらしい舞台を見ていたら、どんなことを考えたろう。民芸や文学座の公演もたまに行っていたけれど、こんな斬新な舞台美術はまだあの当時は、なかったように思う。
My Sewing (Kamichan)
最近は、チュニック風のワンピースかスモックが流行っていて、体にぴったりしたものではないから、比較的簡単に洋裁ができる。
吉祥寺に「コットン・フィールド」という大きなしゃれた生地屋さんがある。
そこは、見本に作ってあるものの生地を買うと、型紙をコピーさせてくれたり、
コピーをくれたりする。
最近はそこへ行き、生地やビーズ、または装飾品のパーツを見るのが楽しみの一つになっている。
子どもたちが小さい頃、パジャマや手提げ袋、ズボンなどたくさんの洋裁をする機会を与えてもらえた時期があった。子どもは、文句も言わず、私の手作りの
物を手にしてくれた。それまで全くミシンかけも、洋裁もできなかった私は、せっせと図書館に通って洋裁の本を借り、型紙を作って、手作りに励んだ。仕事をやめて、子育てをしていた頃、夜なべして夢中でやったものだった。そのころのことが攻を奏したというか、役立って簡単な洋裁はできるようになった。
最近コットン・フィールドに通い、こんな自分のものを作った。
COCO CHANEL (Kamichan)
2009・11・3
昔まだ若かったころ、だれか忘れたけどシャネルの5番の香水をもらった。
そして生まれて初めての香水をつけた。何だか気品のある匂いだったことを覚えているがはっきりは分からない。
そして最近、といってもずいぶん前になるが、アメリカのシャーリー・マックレーン主演の「ココ・シャネル」の映画を観た。
シャネルと言えば、窮屈な服から女性を解放し、帽子や香水を精力的に売って20世紀を風靡し、シャネル・スーツを完成させた歴史的人物と言える。しかし、彼女は小さい頃、孤児院で育てられ、貧しくさびしい幼少期を送った。だが、彼女は好奇心旺盛で、父親譲りの商売根性と優れたデザイン発想力を持ち、社会をも風刺する奇想天外な服や帽子を作り出した。ものすごい働き者で時間を惜しまず仕事に打ち込んだ根性など見上げたものだったという。結婚をせず、たくさんの愛人をつくり、波瀾万丈の人生だったようだ。
映画では、それほど社会的背景が描かれていず、シャネルの成功していく様子しか見られなかった。愛人の中には、彼女の事業を後押ししてくれた公爵や実業家、また結婚を申し込んだが、断られたイギリスのウエストミンスター公、ナチスの将校までいたというから、驚きである。
映画では詳しいことは分からず、もっと詳しく知りたくなり「シャネルの真実」という山口昌子さんの本を読んだ。
新聞記者である著者は、謎の多く残るシャネルについて実際にフランスへ行き、シャネルに由来する土地を訪ね歩き、十年あまり調べ、この本を書いたという。激動の20世紀と重なりあうシャネルの波乱の一生を書き上げた読み応えのあるものだった。映画とは違った面白さだった。
いい話 (Non)
2009・11・1
前回「秋の中の春」に書いた「春のような生き生きとした楽しい時間」の訪れを体験した人のことを思い出した。
先週、同窓会があった。幹事さんが次々と楽しい企画をたててくれ、観桜の会、蛍狩りに続いて今年はもう3回目、今回は清澄庭園(三菱財閥の岩崎弥太郎が大名の下屋敷や豪族の館跡を買い上げ、造園した)の涼亭で楽しい会食だった。いつものメンバーにプラス、サプライズゲストなる方が出席されるというので、みんなわくわくしていた。
会場にはやばやとついていたのは、K氏だった。もちろん卒業以来の対面だ。でもなんとなく高校時代の面影があって、すぐにわかった。私には、やんちゃな少年という印象だったけれど、K氏はK大に現役合格された秀才だったらしい。
次々と思い出話に花が咲いた。Oちゃんが言った。
「いやあ、ここに彼女がやはったら、どんなによろこばはるやろ。Kさんのことを大好きだった美女がやはったんえ。残念やけど、7年前に亡くなったの・・・・。高校時代、Kさんの家を見に行くからついてきてと頼まれて一緒にいったんや。知らなかったでしょ。」
そういえば、その話、聞いたことがあったなあ。それになるほど彼女はすらっとした細身で小顔の美人だった。そうか、K氏のことだったのか・・・Oちゃんは彼女と仲良しだったので、亡くなった時はとても落ち込んでいた・・・・彼女に苦労をかけただんなさんにも腹を立てていたっけ・・・・などと思いめぐらしていると・・・。
K氏ははじめ、からかわれているのかと思っておられたらしいが数人が同意するに及び、真実だったことを理解されたようで、「え?名前を教えてよ。だれ?だれ?どうしてそのとき、教えてくれなかったのか・・・今ごろ知ってももうおそいよ。ああ、残念・・・」と、とても悔しそう、いや、とてもうれしそうに照れておられた。
ふふ・・・、なんかいい話だ。やっぱり同窓会は楽しい。ちょっと意地悪なOちゃんは、彼女の名前を次回まで秘密にしておくと言った。彼女の名前を知っている数人は、まったく、全く「王様の耳は、ろばの耳!」だ。
でもK氏は次回の同窓会が楽しみでしかたがないはず。








































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