2008・7・18
小さい頃大阪へ行く時はいつも、西院から阪急電車に乗ったので途中の駅名もほとんど憶えていた。でも、今振り返ってみると、結局私に一番縁が深く、様々な思い出が残ったのは、やっぱり京阪電車のようだ。
先日、父のお墓参りに行くため、大阪淀橋から京阪電車に乗ったが、窓から見る風景に遠い昔を思い出し、あらためて自分がこの電車によく乗っていたのだと気づかされた。
(私の思い出は京都から・・・)
現在は出町柳が京都側の終点だが、昔は「三条京阪」だった。ここから琵琶湖大津の方へ向かう京津電車も出ていて、いかにもターミナルという感じだった。三条京阪の改札を出ると、そこから左手に三条大橋が見え、真正面には数軒のおみやげやさん、右手にはバスターミナルと京津の線路が見えた。今は電車が地下にもぐっているので、これは、私の記憶の中の風景である。
大学時代は京阪を利用していたので、行き帰り、電車の中で友達と交わした会話の思い出は山のようで、今、比較的無口なのは、あの頃にあまりしゃべりすぎたのではないかと思うくらい、あれこれよく話をした。でも、不思議なことに、その頃の友人たちとは、いまだに縁があって交流し、たまに会うと、昔と同じく延々と話し続ける。電車の中で一人が立ち、一人が座って見上げながら話したときの表情、揺れながらみんなで顔を突き合わせ、夢中で話し込み、電車が終点に到着したのに気づかなかったことなど、瞬間瞬間のことが鮮明に頭をよぎる。
「深草」には、伯母の連れ合いの妹さんが住んでいた。その息子さんにしばらくピアノを習っていたので、この駅もよく憶えている。小学生の時、初めての訪問では、家がわからなくて一軒、一軒表札を確かめながら探したのだが、夕方だったのか、西日が赤く照りつけて、あたり一帯が異次元の世界のように感じられ、心細かった。だからやっと見つけておばさんが「よくわかったわね。」とにっこり迎えてくれたときは、とても嬉しかった。
「橋本」、「八幡市」あたりは、今も昔とあまり変わらないのどかな風景だ。このあたりは、嵐山方面から流れてくる桂川、琵琶湖からの瀬田川→宇治川、そして三重県鈴鹿山脈に源流を持つ木津川と三つの河川が淀川に合流する手前で車窓からもその堤防の風景が続く。電車が木津川の鉄橋を心地よく渡り始めると、また思い出すことがある。大学1年の夏、私たちは天橋立で行われる水泳合宿に参加しなければならなかった。そこで1週間、特訓されたあと、最終日には、全員が3キロの遠泳に参加するというのだ。今まで50メートル以上泳いだことがなかったので、不安だった。そんなある日、小、中学生時代、中耳炎が持病で水泳をしたことがないという友人が「泳ぎを教えて・・・」と言ってきた。私の思いついたのは、父といっしょに時々出かけた八幡水泳場だった。
木津川なので、学校の帰りにすぐ行ける。私たちは学校を早引きしてお昼前から木津川を目指した。確かもう7月に入っていて太陽が照りつける暑い日だった。友人が「私は人が見ているところで泳ぎたくない・・」というので、それなら・・・と私たちは水泳場から離れた川べりを目指した。草がのびて、道もわからないようなところをかき分け、やっと岸辺にたどり着いた。ちょっと水量が多いような気もしたが、浅瀬が続いているところで、夕方になるまでバチャバチャ思いっきり練習した。後年、再会したその友人もはっきりとあの日のことを覚えていた。
そして電車は大阪府に入り、今、従姉と叔母が住んでいる「樟葉」に向かう。おっと、少し戻って「中書島」ここから京阪宇治線が発着している。この線にもよく乗った。私を東京に呼んだ伯母が晩年京都に戻り、亡くなるまで10年間、木幡に住んでいたのだ。「京阪六地蔵」や「木幡」そして今父が眠っている「黄檗」そして宇治平等院や伯母が眠っているお寺には終点の「京阪宇治駅」・・・もう今は三条京阪への直通電車はないそうだが、昔も今もローカルな雰囲気は変わらない。
京阪電車の車体の色は昔とあまり変わらない。しかし車両はどんどん新しくなり、私の青春時代に走っていたものは1900系のみになってしまった。現在は最新特急8000系。ダブルデッカー、テレビ付の車両だが特急料金はなし。大阪京都間の料金もJRよりうんと安い。昭和55年には置石による脱線事故もあったが、いつまでも安全な市民の足として活躍してほしいと願っている。
(写真は「京阪電車」のサイトよりお借りしました。)
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