季節

秋の中の春(Non)

2009・10・29

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昨日は穏やかな秋晴れの一日だった。

 ご近所、13名で、陣馬山麓にある夕やけ小やけふれあいの里に出かけた。ここは市の施設で、山に囲まれた土地にりんご園、牧場、キャンプ場、イベントホール、前田真三ギャラリー、野菜の直売所などが点在している。

 春は河津桜が咲き、冬にはクリスマスイルミネーションも灯される。

 もうすぐ11月なので、少しは秋の雰囲気になっているかしら・・・と思って行ったが、まだまだ山々は濃い緑で、流れる水、水辺のすすき、ドウダンツツジ、ミツマタマツツジ、銀杏などの紅葉に少し秋を感じただけだった。

Sarusuberi_2 山を訪れて気づいたことがあった。それは、もうこれから寒くなっていく一方なのに、地面には、新しい命がどんどん生まれているのだ。新鮮なヨモギ、生き生きとしたタンポポの葉っぱ、花が咲いているのもあってモン黄蝶が飛び回っている。植物は春に芽生えて、夏育ち、秋から冬には枯れていくものと思いこんでいたけれど、観察不足。秋の中にも春がいっぱいあったのだ。

 なんだか人間の姿にも似ている。夢中で過ごした夏が過ぎ、ちょっと淋しい秋の訪れを感じたとき、またしばらく春のような生き生きとした楽しい時間が訪れる。この春の時間の暖かな思いを抱きながら、やがて来る厳しい冬への覚悟を備える・・・・。もう1ヶ月もするとこのあたりには、初雪が降るかもしれない。そのとき、これらの生まれて間もない葉っぱたちは、息をひそめてしまうだろう。でも、ちょっと遠い向こうに、大きな春が待っている。

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   Kasiwaba

   

柏葉あじさいの紅葉Sususki_2                                                                

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夏の朝

2009・7・14

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梅雨があけたのかな?

今日は久しぶりにさわやかな朝だ。そう、夏の朝がやってきた。

夏の朝はなんか好きな時間だ。子どもの頃の思い出とつながって、なんだか意欲が湧いて来る。

「さ、涼しいうちに、宿題のワークブックをすませて、午後からは泳ぎに行こう!」

朝顔の観察をしていると、祖母が縁側から声をかける。「麦茶冷やしてあるえ・・・」

太陽が照りつけ始めたけれど、木陰はまだ涼しい。百日紅の花が風にゆれている・・・・。

あれから60年の月日が流れたけれど、私はまだ元気な朝を迎えている。神様、ずっとずっと守ってくださってありがとうございます!

 昨日、ちょっといつもと違うコースを散歩したら、久しぶりに林の中で「とらのお」を見かけた。これはもう7,8年前、早朝の散歩コースに群生していて好きになった花だ。これも、夏の朝の思い出の花・・・。Nakagawa_201

いつか友人と買ってきた苔球に、挿してみた。星のような白い花が次々と先の方に咲いてゆく。

「さ、涼しいうちに、今日はお風呂のタイルみがき!」

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少年と桑の実 (Non)

2009・6・24

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 もう1ヶ月以上前のことだが、買い物の帰りに12年生くらいの男の子3人が公園の林の入り口にある木を激しくゆすり、何かを採ろうとしているところに行き逢った。近づいて見ると木の高いところにグミの実がたくさんなっていた。でも少年たちには、少し高くて届かない。下から木の枝で叩いて落とそうとするが、実は簡単に落ちてこない。

私がそばに立って見ていると、叱られると思うのか・・・というあてははずれて、「すみませんが、あの高い枝をひっぱってくれませんか。」と丁寧な言葉で、言われてしまった。

仕方ない・・・私は荷物をそばにおいて石垣にのぼり、一本の枝をぐっとしならせて、少年たちに届くようにしてあげた。彼らは大急ぎでグミの実を枝からもぎりとり、うれしそうに、口に入れた。私が子どもの頃採ったグミの実は真っ赤だったが、これは少し茶色味を帯びていた。「あまい?」と訊くと、「うん、あまい!ありがとうございました!」

石垣にのぼってグミの実を採ってるのを誰かに見られたらいやだなあ・・・と思ったけれど、心は子ども時代に戻ってなんか楽しい気分だった。

あれから、ときどき、道端の木々に実がなっていないかなあ・・・と気をつけて歩くようになった。

今日は、桑の木に実がついているのを見つけた。あの少年たちは採りにこないのかなあ・・・。まだ実は少し固く、食べてもすっぱい。もう少しして赤い実が熟して黒くなってくると、とっても甘いのだ。ジャムにもできる。

昔、公園の片隅に大きな桑の木が一本あった。あれはやはり、今頃の季節だったのだろうか。私より2つくらい年下の男の子が遊び仲間の中にいた。いつもは、小さいので、おとなしく私たちのあとをついてまわり、遊んでいたのだが、あの日、みんなで桑の実をとろうということになったとき、少年はびっくりするような力を発揮したのだ。

私たちが高い枝なので、もうあきらめようとしていたら、はだしになって木にくらいついた。そして決して上手とはいえない、はいつくばったような格好で顔を真っ赤にしながらぐんぐん登り始めた。はじめは、「あぶないよ!」と言っていた私たちも少年が桑の実がいっぱいついている枝に届きそうになると、「がんばれ~」と応援していた。少年が片手を伸ばし、枝を激しくゆすると、熟れた桑の実はぽろぽろと地面に落ちた。ハンカチやポケットに桑の実が山盛りになったときは、みんなキャッキャッと喜んだ。木から降りて来た少年もとても嬉しそうだった。

もう名前も思い出せないけれど、真っ赤になって木にくらいついていた姿はなんだか妙に心に残っている。

今、ここにある桑の実は、あのときの桑の実よりずいぶん小さいような気がするのだけれど・・・。

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あじさいの季節 (Non)

2009・6・11

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春の花が少し元気をなくし、雨模様の日が続く中、心をなごませてくれるのは、優しい色合いのあじさいの花。

写真は2年前、この季節にUSAKOさんのお宅を訪ね、八重の花びらと紫の濃淡が美しいあじさいが目にとまり、「わあ、きれいね・・・」というと挿し芽をしてくださり、いただいたものだ。

昨年は花をつけなかったが、今年はたくさんの花をつけてくれた。

「あじさいがもうすぐ咲きそう・・」とメールを入れると、彼女のところでは「もう2週間ほど前から咲いていますよ。」と返事がきた。このあたりは、やっぱり少し気温が低いのかも知れない。それにしても小さな一枝から2年で、こうしてたくさんの花をつけるようになるなんて、なんだか感動してしまう。Nakagawa_160_3

京都府立植物園のHPによると、あじさいは、日本独自の花で万葉集にも、「味狭藍」とか「安治佐為」として出ているそうだ。「紫陽花」という字は漢名をつける必要にせまられたとき、白楽天の詩から引用したもので、花は日本から中国に渡り、やがてヨーロッパにも伝わったものだとか。(シーボルトもたくさん本国に持ち帰っている。)ヨーロッパに伝わったあじさいは、「Hydrangea」として改良され、逆輸入により、「西洋あじさい」は日本に戻ってきたという。

あじさいは、「東洋のバラ」として愛でられたそうだけど、魅惑的なグラデーションのあじさいをじっと眺めていると、なんだか神秘的で高貴な花のように思えてくる。

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ありがとう、さくら、また来年 (Non)

2009・4・20

Nakagawa_096_2  今年はさくらが長い期間楽しめた。つぼみが出始めてから寒くなり、「お花見には、咲いてね。」と、毎日さくらの木々を見あげていたが、そうはいかない。予定されたお花見の日はちらほら数輪が咲いているだけだった。入学式の頃、やっと一斉に咲き始め、並木道のさくらトンネルの中をバスで通り抜けるときは、ちょっとわくわくした。

毎年その美しい姿で私たちを楽しませてくれるさくら、今年は俳句の会のお題になっていたので、じっくり眺めた。でもなかなかいい句が思い浮かばない。古今東西、さくらはもうあらゆる人々に詠まれ、私などがいくら考えてもそんなにいい句はできないに決まっている。俳句では「花」といえばさくらを指す。そのほか、さくらにまつわる季語はとても多い。

朝桜、夕桜、夜桜、初桜、遅桜、彼岸桜、姥桜、山桜、観桜、花巡り、花の宴、花衣、花篝、桜人、花筵、花曇、花吹雪、花冷、花守、花便り、花疲れ・・・・

いくつか俳人の句を挙げて見ると、

徐ろに 眼を移しつつ 初櫻      虚子

さまざまの 事思ひ出す 櫻かな    芭蕉

うかれける 人や初瀬の 山櫻     芭蕉

花守や 白きかしらを 突あはせ    去来

花の陰 あかの他人は なかりけり   一茶

烈風に 花一房の 落花かな      立子

花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ   久女

花冷の 闇にあらはれ 篝守      素十

「姥櫻」を辞書でひくと①「葉が先立って花を開く櫻の総称。ヒガンザクラ、ウバヒガンなど。②「娘ざかりが過ぎてもなお美しさが残っている年増、女盛りの年増。」などと書いてあって「ふ・・・ん。あんまり悪い意味じゃないんだ。」と思っていたら・・・

ふるさとは かはり果てたり うば櫻   素月

などという句を見つけてしまった。(笑)

ちなみにやっとできた句は

待ちわびた 蕾も今は 花吹雪

今年のさくらは、早く咲いて・・・とひたすら待ち続けたさくらだったのに、いつのまにか、もう花吹雪の世界に入っている。自分の人生のように。(笑)

また来年もさくらと出会えますように・・・・。

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ムカゴ探しの散歩

2008・11・1

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先日、枝元さんの講演で懐かしくなったムカゴ・・・このあたりではあんまり見ないなあと思っていたが、USAKOさんから、「あれは、山や林、自然の中にけっこう生えているのよ。」と聞いて、もう一度見てみることにした。

 発見第一号は、つつじの植え込みの上をはいまわっていた。半分枯れて黄色くなっている葉っぱの裏にムカゴがついていた!わあ、こんなところにあったのかあ。今度は雑木林の方へ行ってみた。ヤマノイモによく似たつる植物がたくさんあった。近づいてみると

「あ、これ、ヘクソカズラ!」前にかわいそうな名前だなあと印象に残っていたあの白の中心部が紅色になっている花が咲いていた。この葉っぱや茎は悪臭がするので、そんな名前がついたのだとか・・・。

「これは、ヤマノイモかな?」と近づいていくと、形はヤマノイモにとてもよく似ているのにちょっと葉が大きく、ムカゴは見られない。(あとで調べたらこれはどうやら「オニドコロ」という植物らしい。)Nakagawa_064_2

里道に出て、どんどん歩いて行くと、空き地のフェンスにヤマノイモのつるがまきついていた。ムカゴも少しなっている。確かにヤマノイモ!でも近くには勢いのいい葛が茂り、ヤマノイモのつるはほんの少ししか見られなかった。

1時間ばかり歩いて一番大きなムカゴがなっていたのは、・・・クロネコヤマトの集配所のフェンスの中だった。もう枯れかかったつるに今までみたこともないほど大きなムカゴがなっていた。でも手が届かない。残念・・・。

今まで、あまり注意して見ていなかったヤマノイモの葉っぱやそのつき方(対生、互生)などがだんだんわかってきた。似たような葉っぱもよく見ると微妙に形が違う。葉の厚さも葉脈もやっぱり微妙に違うのだ。

収穫は、5,60粒、これは味噌汁に入れておいしくいただいた。ふふ、貴重品。

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実を結ぶ花木たち

2008・9・13

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このところ、朝夕の空気がひんやりとして来た。透明な光が木々の影をくっきりと映し、ようやく本格的な秋がやってきたのだと実感する。

早春に真っ白な花を咲かせていた「こぶし」の木に不思議なかたちの紅い実がなっている。

花々は実を結ぶという当たり前のことをじっくりと見ないで過ごして来た長い年月・・・。今、ゆったりとした時間というプレゼントを与えられて、改めて身の回りの自然の姿を見直す毎日だ。 D0056382_1555211_3

どれどれ、あの私の大好きな「山法師」の花はいったいどんな実をつけたのだろう。6月に写真を撮って回った山法師の木を探して歩くと・・・なんとツブツブのある円いオレンジ色の実をつけていた。このツブツブの形はどこかで見たような気がする。そうだ、花の中央にあった緑色のツブツブ・・・Hanamizuki_056_4

あれが実になったのだ。

山法師

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今度は6月ころ、やはり白い花を咲かせていた沙羅の木、夏椿ともいうあの花の実は?あった! これはまだ緑色だけれど、これからどう変化するのだろう。

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椿にも、美しく光る実がついていた。これは、子どもの頃、神社の大木の椿に登って取った懐かしい実だ。もう少し経つと椿油の取れる椿の種になる。

さざんかにも、エゴの木にもそれぞれの実がなっていた。静かに過ぎてゆく時間が花々に実りのときを教えている。Nakagawa_025_3

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ああ、怖かったあ・・・

2008・8・7

(写真は神戸観光壁紙サイトより)

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ここ、数日、急に雷がなって激しい雨が降ったりする日が続いている。先週は母の住む神戸の都賀川で事故があったばかり、きっとこのような天気の急変だったのだろう。

でも私は、出かける用事がない日はほとんど家にいるので、雷雨もちょっと稲光を我慢すれば、なんということはない。でも昨日は・・・

午前中、ちょっと手渡したいものがあって家から7.8分のお宅に電話をした。お留守だったので、帰って来られたら、連絡をしてくださるようにメッセージを入れておいた。

 午後1時半頃、「ごめんなさい。帰りましたので・・・」と連絡があった。少し前から稲光と雷鳴があったので、もうすぐ雨も降り出すだろうと思って、「今のうちに、急いで、お伺いします!」と返事をした。

 支度をする間にも稲光は間隔が短くなって、近づいてきた感じ。急いで傘を持ち、外に出た。雨はまだのようだ。坂道を降りていく間にも大きな雷鳴がとどろき、びくびくしていた。少し膝が痛かったのも忘れて、駆け出した。もう人影はみえず、通りはしん・・・としている。ビカ!!と光ったかと思うと1秒もたたないうちに ガラガラガラ!!!と耳もつんざくような轟き!!・・・・「ああ、私の運命もこれまで・・雷に打たれて死ぬかも・・・」という恐怖が頭をよぎった。数年前に近所に雷が落ちて、救急車が来たことがあったのを思い出した。

 やっと目的のおうちに着く頃、シャワーのように雨が降り出した。「ちょっと休んでいかれません?」と言われたけれど、早く帰りたい・・・と思って「大丈夫です!」と、大急ぎで引き返した。

 帰り道でも、ものすごい稲光、すぐに大きな雷鳴が鳴り響き、雷が私のすぐ真上に来ているのがわかった。傘のもち手はプラスチックなので、大丈夫、でも左手に持っていた鍵は金属だ。それで急いで根付けの紐の部分をにぎり、ビカ! ビカ!ごとにびくびくしながら家に急いだ。白いズボンは裾がびしょぬれになり、傘をさしているのに、シャツまでぬれた。

 そしてふと思った。こういうふうに雷が本気で怖かったことが子ども時代にあったなあ・・・と。

夕方、都内でマンホールの工事をしていた人たちが流された事故を知った。マンホールの中では、濁流が渦巻いていた。ああ、どんなにか怖かったことだろう・・・。

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雪を眺めながら

2008・2・4

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 〈白黒写真ではありません。)

 昨日は2年ぶりの雪だった。窓から降りしきる雪を眺めながらぼんやり考える。

 私はあまり雪の降らない土地でずっと暮らしてきたので、たまに大雪が降ると、その情景がとても心に残る。雪が多い地方に住む人々にとっては、大雪は危険だし、作物に被害をもたらすし、除雪の苦労はあるし、費用もかかり、情緒を楽しんではいられないけれど、それでも雪にまつわる美しい話はそういうところでたくさん生れている。

 私の一番好きな話は宮沢賢治の「雪わたり」だ。雪の風景を表現している文章はうっとりしてしまうほどすばらしい。

雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。

「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」

お日様がまっ白に燃えて百合の匂いを撒き散らし、また雪をぎらぎら照らしました。木なんかザラメを掛けたように霜でぴかぴかしています。

 この冒頭の描写で、読み手もすっぽり雪の世界に入っていってしまう。まだ見たこともないまっ白な輝く雪野原に足を踏み入れてわくわくしてしまうのだ。

 アンデルセンの「雪の女王」も小さい頃に出会ってずっとずっと心の中に鮮やかに残っている話だ。これは美しいというより雪の白に潜む魔性を感じさせるちょっと怖い印象があった。カイが女王の橇に乗せられて連れ去られていく場面はその絵本の挿絵といっしょに忘れられない。雪の女王は容貌は美しいイメージだけれど中身は賢治の「水仙月の四日」の雪婆んごに近い。

 遠藤周作の本で読んだ言葉が思い浮かぶ。キリストが生れたのは本当は12月25日であったのかどうかは、よくわからないのだそうだ。3世紀頃から4月19日説、5月29日説、3月28日説といろいろ主張され、その後12月25日説が定説になったとか。でも遠藤氏は人々は雪の降りしきる季節の一日をイエスの誕生日として、せめてその日だけは、自分達の心を洗い清めようという人間の願いに心ひかれると書いておられた。

 雨にもさまざまな思いが抱かれるだろうが、やっぱりこのまっ白な雪にはかなわない。

韓国の若手ピアニスト イム・ドンミンのショパンノクターン作品48-1

You Tubeより)

http://www.youtube.com/v/NRuD1L9FPZA&rel=1

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「七十二候」(kaz)

2008・1・21

☆ 写真は例年より随分早く咲き始めた「藪椿」です。

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きょうから「大寒」。これから半月の間、一年で一番寒いとされる時期に入り
ます。でも、この次は2月3日の「節分」。寒いながらも、いよいよ冬と春の季
節の分け目を迎えることになりますね。

天気予報などでも「二十四節気」については必ずと言っていいほど触れられま
すが、節気の間をまた3つに区切った「七十二候」という季節の区切りがあると
いうことを私は購読しているあるメルマガできょう初めて知りました。いずれ
も中国でつくられたものだそうです。

「七十二候」では大寒の期間を次ぎの3つに分けています。

  款冬華(フキのはな さく)
  水沢腹堅(さわみず こおりつめる)
  鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)

長い歴史の中で、季節の移り変わりをまとめた「二十四節気」や「七十二候」
には普遍性があり、自然が正しい営みを繰り返してくれていることの証でもあ
るのだと思います。そして、当然のように安心して身をゆだねている自分がい
ることをあらためて感じます。

やっぱり、あのフキノトウは早すぎますよね。これからも悠久の自然のサイク
ルに添って、当たり前の頃に、当たり前のことをしたいなー、と「七十二候」
を知ってつくづく思いました。

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