映画・演劇・テレビ

COCO CHANEL (Kamichan)

2009・11・3

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 昔まだ若かったころ、だれか忘れたけどシャネルの5番の香水をもらった。
 そして生まれて初めての香水をつけた。何だか気品のある匂いだったことを覚えているがはっきりは分からない。
 そして最近、といってもずいぶん前になるが、アメリカのシャーリー・マックレーン主演の「ココ・シャネル」の映画を観た。
 シャネルと言えば、窮屈な服から女性を解放し、帽子や香水を精力的に売って20世紀を風靡し、シャネル・スーツを完成させた歴史的人物と言える。しかし、彼女は小さい頃、孤児院で育てられ、貧しくさびしい幼少期を送った。だが、彼女は好奇心旺盛で、父親譲りの商売根性と優れたデザイン発想力を持ち、社会をも風刺する奇想天外な服や帽子を作り出した。ものすごい働き者で時間を惜しまず仕事に打ち込んだ根性など見上げたものだったという。結婚をせず、たくさんの愛人をつくり、波瀾万丈の人生だったようだ。
 映画では、それほど社会的背景が描かれていず、シャネルの成功していく様子しか見られなかった。愛人の中には、彼女の事業を後押ししてくれた公爵や実業家、また結婚を申し込んだが、断られたイギリスのウエストミンスター公、ナチスの将校までいたというから、驚きである。
 映画では詳しいことは分からず、もっと詳しく知りたくなり「シャネルの真実」という山口昌子さんの本を読んだ。
 新聞記者である著者は、謎の多く残るシャネルについて実際にフランスへ行き、シャネルに由来する土地を訪ね歩き、十年あまり調べ、この本を書いたという。激動の20世紀と重なりあうシャネルの波乱の一生を書き上げた読み応えのあるものだった。映画とは違った面白さだった。

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プラネタリウム「銀河鉄道の夜」 (Non)

2009・10・1

昔から星を見るのは好きだった。

東京に出てきて初めてプラネタリウムなるものを見に行った。渋谷にあった五島プラネタリウム・・・ビルの中にあるのにドームに入るとそこは全く別世界だ。自分が電車に乗ってここに来て、帰りには夜のおかずを買って帰る生活者だということなど、どこかに吹き飛んでしまい、大宇宙の中の一個の不思議な意識を持つ存在であるという感覚が蘇える。

それから長い年月の間にいろんな場所でプラネタリウムを見た。今年の夏も孫を連れてわが町のサイエンスドームに出かけた。2歳のときには、真っ暗になると泣いてしまって途中で、いや最初で退場してしまったが、今は興味津々、いろんな星座のこともよく知っている。そのとき、「銀河鉄道の夜」の予告編を見た。

今までにも藤城清治の影絵で「銀河鉄道の夜」を見たことがあったが、なにしろプラネタリウムのドームでは360度のスクリーンなので、まるで自分が列車に乗って宇宙を旅しているように感じられたのだ。

先日、ついに友人を誘ってサイエンスドームに出かけた。入り口で係員の人が「この作品は大人の方にも好評なのですよ。うちの機械(プロジェクター)は現在日本で4台しかない最新のものです。映像がとてもきれいですよ。」と話された。読売新聞にも朝日にも取り上げられたらしい。また中国や韓国でもこの作品は大ブレイクしているという。

聞いていたとおり、すばらしい映像で音楽も素敵だった。白鳥に導かれて幻想の世界に入る最初の場面はまるで自分が鳥になったような感覚で眩暈がしそうだった。北十字の白鳥座から南十字星までの星めぐりの旅は、あっという間に時間がたってしまい、列車を降りるのが嫌だった。そう、大好きな本を読み終わってしまうのが残念だった子供の頃のように。宮沢賢治の作曲した星めぐりの歌が、またまた透き通った素朴なすばらしい声で歌われていた。

この作品は、独学で天文学を学び、宇宙と神話のデジタルペインティングアーチストとして有名な兄KAGAYAと弟の音楽家、加賀谷玲が創り上げたものだ。(制作KAGAYA STUDIOKAGAYAは宇宙に自分の名前の星を持っている。天文に対する深い洞察とその仕事の功績が認められたのだ。子供の頃から星を見るのが大好きで望遠鏡を持ち出し、大屋根に登って毎夜、星を観察したという。

You Tubeで予告編や全編が見られるけれどプラネタリウムスクリーンとは全然イメージが違って残念・・・。

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ミュージカル「ジェ-ン・エア」(Non)

2009・9・23

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数日前、「この人にときめき!」で松たか子さんが出ておられ、このミュージカル「ジェーン・エア」の舞台稽古が紹介されたので、とても楽しみにしていた。シャーロットのこの小説とエミリーの「嵐が丘」は私が青春時代に読んだ作品の中でもとりわけ印象深く、まだ見ぬイギリスの荒野への憧憬をふくらませてくれたものだ。そしてとうとうその場所に立つことができたときは、感動で胸がふるえた。見渡す限りヒースの茂る草地にヒュルヒュルと音をたてて吹く風・・・・たった150年前にあの壮大な物語を生み出したブロンテ姉妹がここを歩いていたのだ・・・と。Top

劇場にはいると舞台はあのムーアの風景だった。始終吹きすさぶ強い風に枝が一方に曲がった木々が遠景にたくさんならんでいた。右手が高い丘になっていてそれは空につながっている。「レ・ミゼラブル」のジョン・ケアードさん(イギリス人)が演出する舞台だ。

物語は両親を亡くしたジェーン・エアは、劣悪な環境の寄宿学校に預けられ、教師の虐待に遭いながらも、親友エレンに励まされ、自立の志を持った強い女性に成長する。やがて教師の資格を得て、地方の富豪の家に家庭教師として赴任するが、謎めいた挙動の不思議な人物である主人ロチェスターに惹かれていく。ロチェスターも財産めあてに近寄る貴族の娘もいたが、自分の考えをしっかり主張し、夢にむかってひたすらに生きるジェーンに惹かれていく。二人が結婚を誓ったそのとき、ロチェスターには昔騙されて結婚させられた狂人の妻がいることがわかる・・・つづく。

Poto「ジェーン・エア」はシャーロット・ブロンテが31歳だった1847年にカラー・ベルという男性名で出版された。前年に出された3姉妹の詩集は2部しか売れなかったが、「ジェーン・エア」は当時の社会では考えられない社会批判をする女主人公が話題となり反響を呼んだ。

小説に出てくる人物、出来事、環境はほとんどシャーロット・Bの体験と重なる。姉二人を死に至らせ、シャーロットとエミリーも体験した劣悪な学校、ベルギーの留学先での恋愛体験、そして何よりもブロンテ姉妹の自立心の強い主体的な生き方・・・・。

松たか子さんは、そんな意志の強いしっかり者の主人公をよく演じていた。清潔なイメージの中に女性らしい香りもするヒロインの魅力(小説では美人でないというように書かれているが、松さんは美人!肖像画によるとシャーロットも美しい女性だったようだ)を感じさせるし、歌唱力もあり、声量もある。表現面では、まだちょっとワンパターンなイメージも残っているけれど・・・。またロチェスターを演じた橋本さとしさんは、とてもすてきな男性だった。

昔、小説で読んだときは、あまり気づかなかったが、「ジェーン・エア」はけっこうドラマチックな展開でこうした舞台で上演するのにとてもいい作品なのだ・・・と思えた。

「嵐が丘」のように複雑な二重構造の構成になっていると、ちょっと舞台では難しいかもしれない。(映画は何本も作られているが)

しかし、このブロンテ姉妹の作品を支えているもう一つの柱は、ヨークシャーの自然の魅力だ。この荒涼としたしかし強い生命力に満ちた自然の中でロチェスターもヒースクリフも不思議な魅力をかもし出す。もちろんジェーンもキャサリンもだ。ただこれは舞台では伝わりにくいかも知れない。

舞台が終わった・・・拍手がなりやまない。俳優さんたちの熱演が心に残るミュージカルだった。

オペラ歌手の幸田浩子さん、ベテランの寿ひずるさん、そしてジェーンの少女時代を演じた子役たちもすばらしかった。

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  エミリー・ブロンテ

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映像詩「里山」 (Non)

2009・9・4

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自然大好きの友人に誘われて「里山」を観に行った。

これはNHKスペシャルで放映されたドキュメンタリー番組に少し手を加え、劇場用に制作されたものだ。この映像はイタリア賞、アメリカ国際フィルム・ビデオの金賞、ニューヨークフェスティバルでの賞、放送文化基金賞など高い評価をうけたものだ。

舞台は琵琶湖の北西部に広がる原生の雑木林、樹齢500年か・・と思われるクヌギの老木「ヤマオヤジ」がそこに生きる人間、昆虫、鳥、獣たちなどの春夏秋冬の営みを語る。

毎年、何本かのクヌギは人間によって切り倒される。シイタケ栽培のホダギにするためだ。しかし残された切り株からは、また新しい生命ひこばえが生まれ、少しずつ成長していく。

もとの切り株にはウロができ、そこに蜂が巣をつくりシジュウカラがヒナを育て、カエルが集まる。使われたホダギの山にカブトムシが産みつけたたまご・・・幼虫になった頃、山のイノシシがそれを食べにやってくる。子育て中のイノシシにはそれが必要なのだ。

森の中で、生き物はお互いを必要としながら共に生きている。森できのこを育て、ミツバチを飼い、栃の実で餅を作り、恵みを受けながら暮らす人間もその中のひとつ。自然の中で生きる人間の原点を考えさせられる。

NHKのハイビジョンカメラはいつもきれいだなあ・・・と思いながら見ていたが、大きなスクリーンで見る映像は一段とすばらしい。森が春を迎え、芽吹き始める時期の移り変わり、木々の葉っぱが開いていく様子、棚田と森が夕景に燃え、やがて星空につつまれ、朝を迎える姿・・・どれもうっとりする美しさだ。また水中カメラが池に沈められ、真上から鳥が魚を獲る瞬間の映像やミツバチの引越し、思わず孫に見せたいと思ったカブトムシの迫力ある闘いなどさすが・・・と思う映像がたくさんあった。音楽は加古隆さん。

これは百聞は一見に如かず。

公式ホームページ

http://satoyama.gaga.ne.jp/

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「ダンス オブ ヴァンパイア」 (Non)

2009・8・10

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友人に誘ってもらい帝劇ミュージカルに出かけた。演目は「ダンス オブ ヴァンパイア」

 ヴァンパイアではドラキュラなどが有名であるが、ホラーなど怖いものが苦手な私は、そういう作品をほとんど見たことがない。ほとんど・・・というのは、たった一本、見た映画があったからだ。それは古い誰の作品かもわからない{Vampire in Venice}(モノクロだったような・・・)というもので、当時演劇で「ベニスの商人」をやることになり、その背景を描くためにベニスの街の様子がわかる映画を調べていたら、この映画に出合ったのだ。そのとき、私の中でVampireに対するイメージができた。ちょっと怖いんだけれど、高貴な品格もあり、ちょっとセクシーで・・・どこかに引き込まれるような魅力があって、自分のしょっているどうしようもない運命を嘆きつつ、悪を実行せざるを得ないあわれな奴・・・・。

今日のミュージカルは、あの「戦場のピアニスト」のポーランドの監督、ロマン・ポランスキーが作った映画「Fearless Vampire Killers(1967年)をもとにして作られたもので、怖いもの知らずのヴァンパイアーハンターの博士がその助手と美しい娘サラを連れ去ったクロロック伯爵の城に乗り込むのだが、伯爵はまさに私のイメージするヴァンパイアーだった。山口祐一郎さんの歌声は、「私も誘われて行っちゃうかも・・・」と思わせるような妖しげな魅力に満ちていた。伯爵は、永遠の命を持つ者の悲しみを歌う。「自分が愛したものを次々と失ってゆく悲しみ・・・天使でもなく、悪魔でもなく、果てしのない欲望こそが、この世界で最後の神となるのだ・・・」と。

もう一つ、この舞台の見所は、なんと言っても鍛え抜かれたダンスだろう。なかでも、ずば抜けてうまい!と感じさせるヴァンパイアーダンサーがいた。森山開次さんだった。この方はNHKの教育番組にも登場し、人間の胃や心臓、胆嚢など内臓をダンスで表現している今、世界でも注目されている踊り手なのだとか。大勢のヴァンパイアーたちが同じような振り付けで踊っているのだけれど、どこかしら他の踊り手たちと違うのだ。手や足の動きはもちろん、指先まで神経が行っていて、顔の動きや表情にも心を揺り動かす何かがある。・・・・すごい・・・。そういえば、パリのオペラ座のエトワール、マニュエル・ルグリさんの引退公演がもうすぐ放映されるけれど(21日BSHi)彼は44歳まで第一線を保持して来られたそうだ。森山開次さんはまだ若い。がんばってほしい。

この話の結末は・・・というと、博士と助手がせっかく助け出して逃げ帰る途中、すでにVampireに血を吸われていた娘サラは、助手に噛み付いて助手もVampireになってしまう。つまり人類の英知の塊である博士以外はみんなVampire化したということだ。なんだか妙に納得した。

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映画「ベンジャミン・バトン」 (Non)

2009・3・23

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これは、友人から「おもしろい映画だったから見てごらん。」と紹介されたものだ。公式サイトをのぞくと、ブラッド・ピットと昨年見た「エリザベス・ゴールデンエイジ」で女王役だったケイト・ブランシェットが出ている。この女優さんは、好感度抜群で大好き。

3月はじめ、やっと見に行くことができた。

ストーリーはちょっと現実ばなれした不思議な話だ。1920年代にスコット・フィッツジェラルドという作家が書いた短編をもとにしたものらしいが、80歳の老人として生まれ、だんだん若返っていくベンジャミンという男の物語。彼は世間の目を気にした実の親からは、捨てられてしまうが、愛情深い黒人の女性に拾われ、家族として大切に育てられる。

ベンジャミンの場合、成長することは、老人から次第に若返っていくことなのだ。車椅子から立ち上がり、杖を捨て、自分の知らなかった世界を覗いて回る。ある日、彼は生涯愛することになる女性、デイジーと巡り合う。彼女は10歳くらいの可愛い少女だった。ベンジャミンはやがて船長に仕事をもらい、船に乗って世界の海を航海する。しかし第二次大戦でその船は愛国心に燃える船長の体当たり攻撃に海の藻屑と消え、生き延びた彼はふるさとへ戻ってくる。330912_01_02_02_3

デイジーは踊り子として活躍する美しい娘に成長していた。ちょうどよい年頃になった二人は共に暮らし、人生で最高の日々を過ごす。でも、デイジーはだんだん年をとり、ベンジャミンは若返っていった。二人の間に生まれた女の子のために、父親の役を果たせないベンジャミンは姿を消し、しばらくしてデイジーも娘のために再婚する。それから何年もたって初老の婦人となったデイジーは、孤児院に保護された記憶のない5,6歳の少年に会う。ベンジャミンだ!と彼女にはすぐわかった。ベンジャミンは乳児となりデイジーの胸に抱かれて昇天する。330912_100x100_012

この物語が伝えているのは、時間の流れというものは、人間にとってどうすることもできない・・・ということだろうか。そして人は、その中で、与えられた運命を懸命に生きているということ。赤ちゃんとして生まれ、成人し、青春、壮年時代を生き、やがて老いて死ぬという過程をたどっても、ベンジャミンのように老人で生まれ、若返っても、「時間の流れ」というものには、あらがうことはできないのだ。映画の台詞の中にも、人間の運命が動かしがたい何かに支配されていることを印象づける言葉が多かった。デイジーが交通事故に遭ったのも、ふとした偶然とみえる事柄の積み重ねが誘因だった。しかし、その偶然は次々と必然のように事故につながる事柄を引き起こす。つまり、人間の運命は、時の流れが厳然としてあるように、何か大きな力(神)の手の中にあるということを語っているようだ。そしてその大きな力に背中を押されながらもベンジャミンもデイジーもその他の人々も全部、自分の生を懸命に生きているのが心に深く残った。

ブラッド・ピットは有名な男優で知っていたが、映画を見るのは初めてだ。60代から20代ぐらいを実にうまく自然に感じられるように演じていた。ケイトも若々しい乙女から初老の婦人まで、気品ある美しさで好演だった。この映画はアカデミーでメイク賞を獲得したようだが、実に巧みなメイクだった。

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ミス・サイゴン

2008・9・10

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先日、やっとミュージカル「ミス・サイゴン」を見ることができた。

これは1989年ロンドンでの初演以来、世界中で上演されているポピュラーな演目なので、ずっと見たいなあと思っていたのだが、なかなか機会がなかったのだ。テレビでは初回の日本公演〔1992年〕のとき、大抜擢され、その美しい高音が話題となった本田美奈子さんのキムの「命をあげよう」の歌がよく放映されていたが、病没されてしまい、本当に残念だ。

今回、私が見たのは、筧利夫さんのエンジニア、キムはソニンさん、クリスは井上芳雄さんという顔ぶれだった。

ベトナム戦争でサイゴンに来ていたGIのクリスとキャバレーで働いていた少女キムは、真剣に愛し合い、将来を夢みていたけれど、突然サイゴン陥落の日はやってきて、クリスは、キムの名を呼びわめきながら、ヘリコプターに押し込められ、アメリカに帰国してしまう。確かにクリスは真剣にキムを愛していて、夢でうなされるほど苦しむのだが、やがて新しく出直そうとエレンという女性と結婚する。そして妻に言う。「彼女とのことは、戦争の恐ろしさ、むなしさの中で、ただ一つの癒しであった・・・」と。

一方、キムはクリスが迎えに来てくれる日をひたすら待ちながら、キャバレーで働き続け、今は出世したかってのいい名づけが彼女に迫り、クリスとの間に生まれた子どもを殺そうとしたとき、彼を撃ってしまう。そして3年後、再会したクリスが結婚していることを知って、息子の将来を考えると自分はいないほうがいいと、クリスに息子をたくすべく、自害してしまうのだ。

この二人は、どちらも善意のいい人間であり、彼らが真剣に愛し合ったのは事実だが、やはり母性に支えられたキムの生き方はいさぎよく、一途ですごいと思う。彼を訪ねて行ったホテルの部屋にいたのは、妻のエレン、キムは「彼はまず、私に自分の口で結婚したことを言うべきだったのよ」と怒りをぶつける。この彼女の一途で強い生き方は愛する息子のため、ミス・サイゴンの生き方は、一途に愛すること、その愛のためには自分の命も投げ出す勇気を持っていたこと・・・自分の苦悩の癒しとしてキムを愛したクリスとは、別格のすごさだ。ここに男性の愛と女性の愛の違いが見える。

ベトナム戦争に限らず、キムとクリスのような結びつきの結果生まれた子どもたちがたくさんいたことが、劇中でも語られていた。この脚本は作詞家のアラン・ブーブリルガ元GIの父親の待つアメリカに旅立とうとしているベトナム人少女の写真からヒントを得て作られたそうだ。悲しいまでに一途な母性愛の物語だ。

またオリジナル作品の演出どおり、舞台で実物大のヘリコプターが離陸する場面はものすごい迫力だ。長い公演の間には、このヘリが故障して劇が中断されたこともあったようだが、本当に毎回、ひやひやすることだろう。舞台の成功が多くの人々によって支えられているというのがとてもよくわかる。

「本田美奈子さんのキム」

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メスキータに感動

2008・6・30

画像はウィキメディア・コモンズからお借りしました。

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28日のNHKの番組、探検ロマン世界遺産「とけあう美と誇り アンダルシアの都~スペイン・コルドバ~」は心に響く番組だった。

スペインには、行ったことがない。知り合いが3年間マドリードに滞在し、「赴任中にぜひ遊びにいらっしゃい」と言ってもらっていたのに、迷っていて、とうとうチャンスを逃してしまったのだ。その後サグラダファミリアのことや、アルハンブラ宮殿、またアンダルシア地方の白い建物の話を聞いたり、映像を見たりするにつけ、「うう・・ん、実際にこの目で見てみたい・・・」という気持が高まってきていた。800pxmezquita3_5

ヨーロッパはスペインに限らず、征服したりされたりの歴史で民族や宗教もめまぐるしく興亡を繰り返している。日本人には、考えが及びもつかない複雑さだ。たいていは、征服者はされた民族の心の拠り所である宗教的シンボルを打ち砕き、そこに自分たちのシンボルを建て直す。でもこのメスキータには、イスラム教とキリスト教の象徴となるものが、お互いを尊重する形で温存されているというのだ。権力者が建て直そうととしたものをそこに住む住民たちが反対して守り抜いたという。素朴な信仰を持つごく普通の信者たちは、イスラムの神もキリストの神も相反するものではない・・・ということを感じていたのに違いない。時の政治の権力に屈せず、メスキータを守り抜いた人々の心を動かしたものは、それぞれの知恵と技術を生かして精魂かたむけた建築物の美しさであるとともに、そこに宿る神を信じる素朴な信仰であったと思われる。

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しかし、これはなかなか難しいことだ。今もヨーロッパとイスラムがせめぎあっているイスタンブールが昨夜、紹介されていた。国家、民族はもちろん、一人の人間と人間を考えても、お互いが生きてきた背景、信じるもの、価値観がぶつかりあって、譲り合い、認め合うことがなかなかできない場合が多いのだ。それぞれが自分の価値観が正しいと思い、自分の信じるものが最高だと思い込んで、他者を理解しようとしない。そんな人間たちに「とけあう美と誇り」を象徴するメスキータは、大切なメッセージを発しているように思われた。800pxcordoba_moschee_innen5_dome_2

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ベガーズ・オペラ

2008・3・26

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 アコママさんと日生劇場に出かけた。今夜は東宝ミュージカルの「ベガーズ・オペラ」私はよく知らなかったが、これは、なんと1727年にロンドンで初演された「世界最初のミュージカル」と言われている作品らしい。それまで上演されていたイタリアオペラは、ギリシャ神話をテーマにしたような舞台で、庶民の現実の生活から遠くかけ離れたものだった。劇作家ジョン・ゲイは、乞食、娼婦、犯罪人、監獄看守などおよそ考えられなかった人々を舞台にあげて結婚、愛、犯罪、道徳、法的正義などの問題をシニカルに描き出した。人々がびっくりしたのも無理はない。そして大人気を博したそうだ。(のちにブレヒトがこの作品をもとに作ったのが「三文オペラ」)

 当時の英国では、まだ警察という組織が完成しておらず、治安判事、教区吏員、警備員など複数の別々の職が入り乱れ、治安が悪かったとか・・・。そこで政府は刑罰を厳しくし、ちょっとの盗みでも縛り首などの厳罰を与えるようになり、その隙をついて、劇中にも出てくるジョナサン・ワイルドなる18世紀の有名犯罪人が暗躍したそうだ。

 今回主役のセクシー・カリスマのマクヒース役は、大河ドラマで山本勘助を演じた内野聖陽さん、その他近藤洋介さん、森公美子さん、島田歌穂さん、笹本玲奈さん、村井国夫さん、橋本さとしさん、など歌手兼俳優の豪華メンバーだった。

 ストーリーは、勇敢で頭もよく、みなに好かれているが、女と酒にはだらしのないマクヒースをめぐって展開する。彼を純粋に愛する二人の女以外はみな色と欲にとらわれた人物だ。人間は生きていくために数々の罪を犯すが、それは上流階級であっても、貧しく弱い人々であっても同じ、しかし裁かれるのは、いつも貧しく弱い者たちだ!という通奏テーマが貫かれている。

 役者さんたちは、みなすばらしい歌唱力で、「すごいなあ・・・・」とただ、ただ、感心した。内野さんなどは、早稲田だから音楽学校ではないのだけれど、音大で声楽をやってきた役者さんたちに混じってちょっと高い声がとても魅力的だった。舞台は建物が4階高層になっていたが、それぞれの位置に立っての全員合唱はとても迫力があって感動した。

 舞台装置も、すばらしく、高校時代、演劇をやっていた私たち二人は「昔とは、格段の差だわね。」と囁いた。昔、文学座や民芸の演劇をよく見に行っていたが、舞台を上部までフルにつかい、立体的に使いこなす技はやっぱり現代の技術の進歩なくしては実現しないものだ。

 演出面でも、(これはジョン・ケアードという外国の方の演出らしい。)さまざまな工夫がなされていたが、その一つに、会場の観客と舞台が一体化するように工夫がされていた。

 舞台の上手、下手に客席が用意されていて、そこに座った観客がときどき、劇中に入っていったり、役者さんたちが、客席に降りて来て観客と会話を交わしたりした。私たちのすぐ後ろにもベガーが何人かいて、幕間に話しかけられた。とても楽しめた舞台だった。感謝・・・。

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映画「エリザベス・ゴールデン・エイジ」

2008・3・4

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 1558年に女王に即位し、その頃弱小国家だったイングランドを繁栄に導き、大英帝国の基礎をつくったエリザベス1世を描いた映画だ。9年前に「エリザベス」として公開された映画の続編でエリザベスを演じたのも同じケイト・ブランシェットだった。

 今回の映画はプロテスタントの国家至上主義を引き継いだ女王がカトリックを支持する者たちによる暗殺の危機にさらされながらも持ち前の知性で、側近達を活かし、国を築いていく過程が描かれている。

 映画の見所は、一つは女王として国を安泰に維持していくために、ヴァージン・クィーンとして生きるという覚悟をしたエリザベスの女としての心の動き。自分で叶えられない恋を可愛がっている侍女に叶えさせ、それをそっと蔭で見守るが、実際にその侍女が自分の愛する男の子どもを宿したことを知ると投獄してしまう。これは史実のようで、女王が恋心を抱いたウオーター・ローリー卿は、実際には法律を学んだ作家、詩人としても有名な人物だったそうだが、映画では海賊あがりの人物と同一人物として描かれている。(アルマダの海戦で活躍した海賊あがりの男性、フランシス・ドレーク(エル・ドラゴ)も女王に寵愛されたようだが、別の人物)

 もう一つは、女王の孤独と強さ・・・次々と襲ってくる難問、今度は世界最強のスペイン艦隊が英国に攻めて来る。女王は不安にかられ、占い師に予測させるが、占い師の答えは「大きな不幸がやって来る」・・・女王の少しでも希望を持たせてという願いにも首を振る。ただ、占い師は言った。「その不幸は必ずやってくるが、それに立ち向かう姿勢は人によって異なる。ある者は打ち砕かれ絶望する。ある者は、諦めて死を選ぶ。しかしある者は、翼を得て羽ばたく。」女王は「博士、あなたは賢い!」と敢然と立ち上がり、闘いの準備を急ぐ。

 長い髪をなびかせ、甲冑姿で馬に跨った女王は兵士に呼びかける。「私はあなたがたと運命をともにするつもりです。命が尽きたときは、天国で再会しましょう。さもなくば、この広場で勝利をともに喜びましょう。」

 このシーンは圧巻だった。英国を旅行したとき、このシーンに出てくるような切り立った白い崖のある場所(イーストボーン)に行った。340メートルほどある絶壁だ。あの崖の上に立ち、攻めて来るスペイン軍を迎え撃ったのだ。兵士達は女王の言葉に勇気百倍、士気が盛り上がり、イングランド軍は大勝利。映画ではローリー卿がやっていたが、実際には海賊のドレークが船に火をつけて相手の船に送り込み、スペイン軍の船を次々とやっつけたそうだ。

 そのほか、スコットランド女王のメアリー・スチュアートが処刑される場面も印象的だった。映画を見てから、実際はどうだったのだろうと、歴史を調べてみたが、映画で描かれているとおり、あるいはそれ以上の恐ろしい陰謀に満ちた時代のようだ。

 この映画を成功に導いているのは、なんといっても女王の役を演じた女優ケイト・ブランシェットがかもし出す雰囲気だ。女王の気品ある美しさ、気高さ(プライド)、強さ、そして人間としての弱さ、女心・・・そのどれもがしっかり伝わってくる。女王は3000着以上の色とりどりのドレスを持っていたというが、映画でも、豪華絢爛、すばらしい衣装が次々と披露された。見ごたえのある映画だ。ケイトはアカデミー主演女優賞にノミネートされていたが、それは昨年見た「愛の讃歌」でピアフを演じたマリアン・コティヤールが受賞した。いい勝負だった。どちらもすごい・・・。

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