携帯・デジカメ

恋人からの初メール

07sakura_020_1                                  2007・5・7

 数日前、朝早く携帯が鳴った。メールだ。こんな時間にダレかな?と思って開けてみると「あいうえおやた」とあった。???発信人は次男の携帯。

は、はーーん。4歳の恋人からだ。最近電話番号を覚えて、かってに一人で家に電話をしてくるようになっていた。

1週間ほど前、「ばあばのけいたいのばんごう、おしえて」と言ったので紙に書いてあげた。

あいうえおやた」「あいうえおやた」私は一生懸命考えたけれど、意味がわからない。きっとめちゃくちゃ押したんだ。でもあいうえお・・・。携帯で「あいうえお」とだすのはパソコンで出すより難しいのに・・・。私はすぐ返事をした。

「おてんきがいいよ。あそびにおいで」

しばらくして今度は電話がなった。そして山へ出かけることになった。

あいうえおやた」の意味はこうだった。

「(ようちえんで)あいうえおをやったよ。」という意味だったのだ。

うう・・・ん。ちゃんと意味があったのに、判読できなかったのだ。ごめん、ごめん。

そしてまた今朝、携帯メールがきた。

ようすけちなみによろしく!とにかくさしすせそ

あははは・・・笑いながらすぐ返信した。すると今度は電話がなった。

「ねえ、どうしてようちゃんがだしためーる、おんなじのをだすの?ちがうのにしてよ。」

私は返信のとき、相手から来たメールを消さないで、そのまま返信していた。聴いていた長男が「相手からきたメールは消して返信するのが礼儀だよ。」と言った。

「わかった。じゃあ、もう一回送ってね。」「うん、わかった。」

来た。「かきくけこ さしすせそ ようすけ

私は来たメールを消してから「こんどはちゃんとついたかな?またあそびにきてね。」と送った。

また電話がなった。

「ばあば、きたけど、もっとながいめーるにしてよ。」

ふう・・・小さな恋人は注文が多くてたいへんだあ。

でも、あんまり活用していない携帯だけど、持っていてよかったな。こんなふうに小さな恋人と楽しめるとは思っていなかったもの。

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携帯メルマガ配信

Raden_2   

2007・4・24

PCにマグマグなどのメルマガを配信してもらったことはあったが、携帯は家族や友人との連絡メールとたまの電話くらいにしか利用していなかったので、メルマガ配信は初めてである。

さて、その内容だが・・・・

4年前、次男の嫁の実家に招待されたおり、嫁の父の伯父にあたる方が俳句の本を出版されているのを見せていただいた。それは「螺鈿の畦」という題名で「えごの花 散って螺鈿の 畦となる」という句のように農業に携わって生きてこられた著者が日常の生活の中で感じたことを率直に素直に表現されたさわやかな俳句集だった。この句集を読んだ夫がいきなり「俳句を勉強する」と言い出し、その次の日から、今日まで実に一日も欠かさず、俳句日誌をつけている。歳時記他の参考書もどんどん増え、本棚一段分くらいになっている。

先日見ていた雑誌に黛まどかさんの対談が載っており、彼女が「俳句でエール」というみんなを元気づける俳句を携帯メルマガで配信しておられることを知った。夫は携帯を持っていないので、私の携帯に毎朝8時に俳句が届くのである。

初日のは、

顔じゅうを蒲公英にして笑うなり(かおじゅうを たんぽぽにして わらうなり)
橋カン石(はし かんせき)
<季語/蒲公英・季節/春>

何か嬉しいことがあったのでしょう。喜びを顔中で表現しました。これ以上ないというような飛びっきりの笑顔を"顔中を蒲公英にして笑った"と捉えた作者です。
蒲公英は踏まれても踏まれても力強く健気(けなげ)に咲く花です。きっとたくさんの苦労や辛いことを乗り越えてきた末の笑顔に違いありません。笑顔には、周りの人も自分自身も幸せにする力がありますね。
注:作者名は文字化けを避けるため一部片仮名表記としました。
(C)2007黛まどか

なかなかいい。確かに元気がもらえそうだ。俳句にほとんど興味のない私が楽しみにしている。

P1010007_1 

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撮影指南

Yama1_1  2007・4・22

カメラについては、以前「肉眼とレンズ眼」で書いたような腕前なので、いざという大事なイベントの時は、息子達が撮影してくれる。しかし、私もホームページやブログに使う写真は撮りたいと思い、オート・フォーカスにしてデジカメを持ち歩いている。今年も桜はきれいに咲いた。満開の桜をずいぶん撮ったのだが、なんと、みんな白っぽい写真になってしまい、まともなのは一枚もなかった。さすがの私もしょげてしまい、今度はカメラ愛好家で撮影暦も長い友に撮影指南を受けながらもう一度桜に挑戦することにした。

幸い近くの森林科学園には開花時期がおそい桜もあって、まだまだ咲いているのである。青空も見られそうと昨日一緒に出かけた。

私は以前使用していたデジカメと2年前に買ったものと二つ、彼女はNikonの本格的なカメラ、取替え用レンズ、三脚など、ものすごく重たいものをしょってスタートした。道すがら「ISO感度」や「ホワイトバランス」「ヒストグラム」について説明を受けたが、原理がよくわかっていない私の頭ではよく理解できない。オートにしないで天候を見てしぼりを調節した方がきれいな写真が撮れるそうだが、それも自信がない。とにかく天気は以前桜を撮った時よりよいので、きっといいのが撮れそう・・・という希望的観測のみ。

山に登り始めた最初の桜の木々を前に彼女も撮影を始めた。私も「ここはいい!」「この花はきれい!」とか思ったものを次々と撮った。ひととおり撮って彼女の方を見たら、まだじっとレンズを覗いている。もう10分以上は経っていたので、「どう?いいの撮れた?」と訊いたら「う、ううん、あの影、もうちょっと濃くならないかなあ」彼女は桜ではなく、桜の木が影になって映っている黒い屋根をねらっていた。「??あの影を撮ってるの?」

それから彼女はまた場所を移動して影が姿よく映っている位置を探し始めた。そして次は影が濃くなるよう太陽が強くなるのを待っていた。待つことまた10分以上、私は撮るものがなくなって「ねえ、まだ先にもいっぱい咲いているわよ。」と催促した。

「そうね。」と出発したが、次の撮影ポイントも同じ。風がやむのを待ち、光がちょうどよく射し込む位置をさがし、根気よく、根気よくシャッター・チャンスを待つのである。

「こりゃあ、私には、カメラは向いてないかも・・・だってすごいせっかちなんだもの。」

登り始めてから、普段なら2時間もかからないで一周してくる山に4時間近くいた。

説明してくれたことはよく理解できなかったが、「こちらから撮った方がいいわよ。」とか、「ここはおもしろい、色のバランスもいいよ。」とかアドバイスをもらいながら、とにかくパチパチやってみた。だんだん太陽が低くなり、山の陰が濃くなってきて出口の方に歩いていった。川辺に青鷺がいてまた撮影が始まった。これもただ鷺くんを撮るだけではだめ、鷺らしい姿勢をするとき、その姿勢がよく撮れる位置に動いて撮る。根気がいるのだ!

家に帰ってパソコンに移して見た。200枚以上撮ったのに、まあまあと思える写真は10枚もなかった。でも、今日のは、前に撮ったものよりうんときれいだ。(自画自賛!)

Sakuraup

Mikuruma_1 

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肉眼とレンズ眼 (Non)

_007      2007・3・21

 ピンボケ写真ばっかり撮っていたので、カメラは全然自信がなかったのだが、デジカメ時代に入って写真を撮るのが少し楽しくなった。

 相変わらずピントの甘い写真がほとんどだが、「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」でたまに「なかなかいいじゃない」・・・と自己満足できるものが撮れることもある。

 散歩に出かけるときには、よくデジカメを持ち歩いている。「ここからの景色、なかなかよさそう!」とちょっとした崖をよじ登ったり、金網フェンスの隙間にカメラを挿し込んだり・・・。でも、撮った写真をあとで見てみると、自分が見た風景、撮りたいと思った風景とかなり違うことが実に多い。

あれ、あの冬の林の梢を通して見える夕陽はもっときれいだったのに・・・確かに梢の向こうの夕陽は写ってはいたが、その手前にある木の枝ばかりがクローズ・アップされ、夕陽の存在は小さくなってしまっている。

ああ、自分の眼は、自分の好きなところしか見ていないのだ。その周りや手前にあるものは、しっかり目に入っていないのだ。でも、レンズは正確に平等に、そこに存在するすべてのものをきちんと写し出す。

 でも、待てよ。自分のお気に入りのポイントを集中的に見る人間の眼も悪くはないかも。あの人の好きなところだけを見ていれば、平和で幸せなのだから。(笑)

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